Scribble at 2024-08-09 23:38:28 Last modified: 2024-08-10 14:45:35
PWL (Papers We Love) は、コンピュータ・サイエンスの古典的な(と言えるかどうかはともかく、本人が好きで読んでる)論文を紹介するイベントだ。アメリカの地方都市で熱心に開催されている読書クラブのようなものであり、2014年から少しずつ色々な都市にコミュニティが出来ていった。
実は、僕は Twitter で公にツイートしていた頃に、"What about a community in Japan?" という問いを発して、主催者などからイニシアチブを取ってくれと頼まれたことがあるのだけれど、正直なところ大阪では難しいと思って断った。でも、そのうち東京ならできるだろうと思っていたのだけれど、いまだに日本には一つもコミュニティがない。もちろん、日本の IT エンジニアが等しくコンピュータ・サイエンスやその古典的な業績に関心がないとか見識をもっていないわけではないだろう。東大の修士号をもっているていどの「低学歴」でも、多くの古典的な論文を読んでいるはずだし、それらの一部を参照しつつ学位論文を書いているはずだからだ。
でも、恐らくはそういう事情によって日本に PWL のコミュニティができないというわけではないのだろう。僕の想像にすぎないが、おそらく日本でこの手の古典的な著作を実際に読んでコンピュータ・サイエンスの学位を取得している人々の大半は、PWL のようなコミュニティを必要としないのだ。学術研究者であるとか、IT ゼネコンなどのシンクタンクや R&D 部署に勤務しているとか、そういう人々は毎日のように仕事として古典的な論文や専門的な論文を読んで同僚と議論しており、寧ろそれが職責でもあるわけなので、それ以上の機会なり時間を使って古典的な論文をわざわざ読んだり、それについて公の場でトークしたり批評するようなインセンティブがないのである。
これに対して、数多くの地域で PWL のセッションに参加している人々は、学術研究者や R&D 部署の勤め人というよりも、コンピュータ・サイエンスの学位をもっているかどうかにかかわらず、趣味的に古典的な論文を読んでいる人々のように思える。したがって、非常に雑な言い方だが、日本では Oxbridge の茶話会で教授たちが談笑するような機会に参加するだけであり、PWL のようにパリのカフェで集まった学生が気軽に語り合うような場所に参加する意義を認めていないということなのだ。もちろん、日本にもインド人や中国人などの技術者が来ていて、彼らが主導してセッションを実行してもいいわけだが、恐らくは周囲の日本人が全く興味を示さないのでやる気を失うのではないか。
何にしても、そんな環境では有望な高校生が(いるとすればだが)気の毒である。意欲のある高校生諸君は、ぜひ中国か韓国にでも留学したほうがいいと思う。