Scribble at 2022-02-14 09:48:36 Last modified: unmodified

John Southward

19世紀のイギリスで文筆家としてタイポグラフィの研究や教育に貢献した、ジョン・サウスワードには "Dictionary of Typography and its Accessory Arts" というタイポグラフィの用語辞典を手掛けた実績がある。これの第二版(1875)が Cambridge University Press から再刊されていて、もちろんオリジナルの著作は既に public domain だろうから、この再刊された著作にも権利はないはずなので、海賊版の PDF で中身を見ている(ちなみに僕は『細雪』だか『道草』だか、クルーグマンの経済論説を無断で翻訳している犯罪集団の翻訳家を何年も前からこき下ろしているが、別に著作権法が〈良い法律〉だなどとは思っていない。著者や出版社の権利を法的に侵害しなければ、海賊版の PDF だろうと自由にダウンロードして所有している)。

それはそうと、サウスワードについては殆ど Wikipedia にしか情報がない。検索しても大半が彼の幾つかの著作を取り上げた書誌情報にすぎず、サウスワード当人についても、それら著作の内容についても、僅かな例外を除けば何の議論も言及もない。英語圏の人々にしてから、この不勉強、不見識だ。確かにタイポグラフィは日本でも書道にも劣るくらいの関心しか集めていないのは事実だし、「デザイナー」を名乗る人々の 1% ですら基本的な素養を学んだ者などいない。せいぜい InDesign や PakeMaker や Quark Express のオペレーターとしての帳尻合わせ的なテクニックを山ほど知っている小役人みたいな蘊蓄屋がいるだけのことだ。よって、検索してもロクな論説が見当たらないのも分かるには分かるが、東アジアの「日本」とか呼ばれている文化的辺境地帯ならともかく、アメリカやイギリスの人たちですら殆ど関心がなくて、このような古典的な業績について何の言及もしていない(言及だけしている些末なブログ記事ですら、一つか二つしかない)というのは、驚くべきことだ。

しかし、実はこれはウェブだけを見ているからなのかもしれない。事実、とりわけ1990年代後半までの成果に関わる記録や論説の多くはデジタル化もされていないし、言及すらされない傾向にあるため、情報リソースとしては著しい偏りがある。よって、印刷されたデザイン関連の雑誌だとか(その多くは既に休刊していたりする)、デジタル化されていない出版物などで言及されていても、僕らは気づかない恐れがある。それらがわざわざデジタル化され、Internet Archive や中国人の海賊版 PDF サイトなどへアップロードでもされない限りは、そういう業績があってきちんと過去の成果へ言及されていることが分からないのだ。よって、欧米の人々が過去から現在に至るまでジョン・サウスワードについて全くの無関心で、タイポグラフィについても不見識なままであるとまでは言えないのかもしれない。しかし、こういう情報リソースの偏向があるというていどの事実を指摘するレベルのメディア・リテラシー教育はアメリカでもイギリスでも受けている筈ではないのか。そうであれば、デザイナー、とりわけタイポグラフィに従事する人々の多くが、そうした情報リソースの偏向について分かった上であっても、これだけしかオンラインで言及していないということなのだから、やはり不愉快で不幸なことではあろう。

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