2022年06月24日に初出の投稿

Last modified: 2022-06-24

日本が「ものづくり」なるスローガンで、はっきり言えばつまらない些事に拘る偏執的な傾向から、本当に何事かが進展する役に立つ精密な技巧まで、色々なものをごった煮にして雑に扱っているのは、もう何度も指摘するまでもない。それらの中で何が工芸や産業に役立つかは、しょせん結果論でしかあるまい。しかし、もう既に結果が出ているように思えることでも、日本の産業界では延々と続ける。

たとえば、僕はもう今世紀に入ってから新聞を購読していないのだが、たまに特別な事情で或る新聞を1ヵ月ほど読ませていただくことがある。そして、もう若い人は何のことか分からないかもしれないが、新聞には「ラテ欄」という掲載枠があり、要するにラジオやテレビの番組表を掲載しているのだが、そこに書かれる番組の紹介文は、ほぼ全ての新聞紙で全ての欄が綺麗に文字で埋め尽くされている。1行が10文字分の幅となっている枠であれば、必ず20文字か40文字で枠がちょうど埋められるように、句点や「等」(あるいは「など」を1文字分の特殊文字として使う場合もある)や、場合によっては意味の分からない分かち書きのような体裁で「▽」などの記号も使って、枠がびっしりと埋まるように文字数が調整されている。よって、ラテ欄にはマージンを除く隙間がない。

でも、それがいったい何の役に立つのだろう。それによって番組の視認性や一覧性が向上するのか。あるいは文字を埋めるとテレビ局から1文字幾らで広告料でも入るのか。このような技巧を駆使したり、あるいは新聞社で代々に渡って版面のオペレータや編集者がアイデアや工夫を継承してきたであろう、連綿と続いてきている業務工程に、日本語を扱う者としての何か傾聴に値するレッスンや知恵はあるのだろうか。

たぶん、何もない。

しかしながら、消えてゆく伝統工芸などとは違って新聞紙にラテ欄がある限り、このようなつまらない作業は今後も続いていくだろう。紙面が番組のタイトルだけでスカスカでも見栄えが悪いと思うような人も多かろう(文字が少ないと、「金を返せ」とか「購読料金を安くしろ」と言い出すヤカラがいるかもしれない)。かようにして、送り手と受け手の妄想や錯覚や不見識が幸か不幸か永続するような腑抜け国家で生きている限り、この程度のことでも100年を超える「伝統」になったりするのだ。

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