Scribble at 2020-06-28 11:13:04 Last modified: 2020-06-28 11:16:40

中学時代に学校の社会科クラブで考古学の調べものや勉強をしていた関係で、クラブの顧問をされていた西田光男先生から色々と興味深い話を聞いた。もともと、考古学では直接の恩師に当たる瀬川芳則先生を紹介してもらったのも、この先生からだった。

そして、聞かせてもらった話の一つが、野上丈助さんという研究者のことだ。具体的な話は覚えていないが、西田先生は野上さんを非常に高く評価していた記憶がある。現在、野上さんはアメリカにおられるようだが、僕が中学生だった40年ほど前には近畿圏の考古学で幾つかの著作を書かれていたのを記憶している。残念ながら、ネットには彼の著作物について書誌情報しかなく、他には僅かな記録が認められるだけだ。

先日、堺筋本町へ買い物へ出かけたときに船場センタービルの槇尾古書店へ立ち寄ったら、野上丈助さんの『摂津の古墳』(古美術鑑賞社、1969)を見つけたので、買ってきた。野上さんの著作は中学時代に何か読んだかもしれないが(僕は、野上さんもかかわっていた大阪府立泉北考古資料館の会員でもあった。なお、現在は既に閉鎖されている)、確かな記憶はないため、彼の文章はほぼ初めて読むと言ってもいい。すると、既に序文から発掘行政や学会についての意見が散見され、なるほど西田先生が好みそうなことを書く人だと思った。そう言えば、瀬川先生も、それから瀬川先生を介して面識を得た森浩一先生にしても、そういう自主独立の気概を備えた方々である。学会の動向だの趨勢だのという、大学教員や行政職員というサラリーマンとしては無視し難いものの、学術的には些事でしかないものに囚われることを嫌い、特に森先生は「考古学は『町人』の学問だ」と何度も語っていた。

なお、これは昨今のプチ流行語でもある「独立研究者」ではない。なんだかんだ言っても、この独立研究者というのは大学や行政に所属していないだけのプロパーであり、他に稼ぎ口がないか必要のない家計で研鑽している人々である(もちろん、安物のマルクス主義者のように「だからいけない」とは言っていない)。したがって、彼らは財務的には「町人」でもなんでもない有閑の人々であって、生活の糧として何事かに従事する際の知恵を応用するといった open-mind には欠落していると言っていい。もちろん、そうは言っても町人学者であるアマチュアの大半は、基礎的な素養が欠けていたり、勉強や研究の手法が独善的で無軌道だったりするため、そういう open-mind の実情は某地方都市の「維新」を語るゴロツキ政党のように、無能な経営者の集まりが政治活動をしているのと同じだったりする。それゆえ、森先生や僕らにしても、既存の大勢・体制への批判的な観点は維持していても、むやみやたらと「在野」だの「素人」だのを逆向きの権威に据えるような愚行には加担しない。森先生が専門家だけの議論を良しとしない気風を持ちながら、素人を集めたような研究会を主宰しなかったのも、それが理由だと思う。考古学のプロパーではない人が基礎的な知識や研究手法を学ばずに学術として対等なレベルの議論ができるわけはなく、そんな見識で学問に取り組もうとするのは、一部の例外的な天才の事績にだけ着目して同じことができると思い込むファンタジーや錯覚、あるいは(言い方は酷だが)学歴のない人々の妄想に過ぎない。もちろん、熱ルミネッセンス法の化学的な機序を知らなくてもアマチュアが考古学や歴史学の研究に参画することはできるし、一定の寄与を担うこともできる(というか文献史学の人々の多くは物理化学や土壌学や水理学の知識は殆どあるまい)。しかし、その範囲は(簡単に言えば発掘の手伝いとか高額な専門書を買うとか)限定されている。

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