Scribble at 2024-02-18 21:09:10 Last modified: unmodified

Google と Amazon という巨大サービスを使い始めて、どちらも20年以上が経過している。これまでに、もちろんだが両方のサービスを使い続けていて、多くの利益を得た。それは、どういう立場のどういう人であれ、利益を得る人が少なからずいるという事実を否定できるものではないだろう。

まず Google の検索を利用することで多くのオンライン・リソースへアクセスできた。競合のサービスを使ってもアクセスはできたであろうが、分量などは比較にならないと言っても良かったのだから、いまとなっては後悔する理由はない。他にも GMail を始めとして色々なサービスを使ってきたし、いまでも仕事やプライベートで色々なサービスを使っている。

そして Amazon は前職で東大阪に会社があった頃から使っていた。やはり最も便利だった(そして、いまでも言える)のは、洋書を安く買えることだ。丸善や紀伊國屋の換算レートだと高すぎて買えないような本でも、アマゾンなら買えた。おおよそ半分以下の値段だからだ。そして中には在庫品として叩き売りされているような本もあって、本来なら1万円を超えるハード・カバーが数百円で手に入る。こんなのは、アマゾンでしかありえないことだ。もし学部時代にアマゾンを利用できていたら、たぶん蔵書量は遥かに多くなっていただろう。いまですら家の中が僕と連れ合いの本で埋め尽くされているのに、アマゾンを利用して買っていたら倍以上の量になっていた筈である。

しかし、20年が経過して冷静に考えてみると、これら二つのサービス企業が提供してきた「検索」のパフォーマンスは、ついに20年が経過しても満足できる水準に到達していない。Google が途中から SEO 業者との駆け引きや広告を挟み込むマーケティング屋に成り下がってしまって、検索の機能をどんどん複雑かつ悪質に変えてきたのは言うまでもない。そして、アマゾンもまた検索の機能は殆ど向上していない。そして、アマゾンの検索の質が悪いのは、「古代史」と検索するとクズみたいな本が優先して出てくるからではない。そのていどなら、元皇族を名乗る三流法学者の歴史書だとか、インチキ保守の構成作家によるコピペ国史、あるいはウジ虫のように湧いてくる素人歴史ファンの自費出版などは、単に無視すればいいだけだ。しかし、アマゾンの場合はデータベースに登録する書誌情報が間違っていることが多い。よって、無関係なカテゴリーにエントリーされていたり、目当てのカテゴリーで全くヒットしなかったりする。これでは、あるものが「ない」ことになってしまうので、検索しても意味がないのだ。

こういうわけで、どちらも検索については、今後も信頼には値しないという他にない。よって、Google については他の検索エンジンを使うしか無いし、アマゾンについては検索にヒットしない可能性がある本をジュンク堂などの実店舗で眺めるくらいしかないだろう(アマゾンの代わりに別の EC サイトを使うかと言うと、それはない。学術研究者というのは、もちろんそこまで暇ではないからだ)。

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