Scribble at 2020-09-04 08:18:58 Last modified: unmodified

Having police officers in schools did not reduce the number of behavioral incidents that happened; instead, it increased the likelihood that less severe incidents and incidents involving middle schoolers were reported to police.

Florida Must Reassess the Role of Police in Schools

僕は、いわゆる「いじめ」などというマスコミや教育者の誤魔化しは大嫌いだ。こういう言葉でものごとを過小評価し、被害を受けている子供も、あるいは加害者の子供についてすら、何の対策も保護も手当てもしようとしない。このような忌むべき事実があるだけで、その学校の校長は文科省や教育委員会からの評価が下がり、PTA からは突き上げられ、そして子供からは無能と舐められるからだ。

そして、それは当然のことである。学校教員はカウンセラーや弁護士ではないし、警察官でもなく、それどころか大半は自分が教えている教科や教育学の修士号すらもっていない、塾の教員にも劣るような素人集団だからだ(これは酷いことに国家官僚にも言える。どれほど難しい甲だの一種だのという試験を突破した東大や京大の出身者であろうと、日本の官僚はしょせん学卒揃いの素人からなる叩き上げ集団だ)。しかも、学校教員の大半は大学を出たら何の社会経験もなく学校の生活に浸りきってしまうため、子供と殆ど変わりない世間知らずの人間たちが、いたずらに《自主》だの《自由》だのを叫んで学校を運営したり、指導方法を捻り出しては、日本だと100年を超える無益な試行錯誤を繰り返している。要するに、日本には科学的どころか学術的に言ってまともなレベルの「教育学」とか「教育方法論」などというものはないのであり、素人の場当たり的な試行錯誤があるか、あるいは十年一日のごとく変わらない授業ノートの祖述を繰り返しているだけなのである。

よって、もともと彼らにサッカーや演劇といったクラブ活動の顧問など任せていられる余裕などないはずであり、彼らにはせめて学校教員となってから後に始める専門教科の習得や指導方法の研鑽を積み上げる時間を確保するべきであり、「全人教育」などという妄想は即座に投げ捨てるべきである。学校教員にそのような妄想を実現する責任を押し付けるのは、単なる親の無責任というものであろう。自分の子供について何から何まで他人に指導・育成してもらうなんて、恥ずかしいというよりも気味が悪いと思わないのか。

このようなわけで、もちろん予防としては家庭で親が各種の犯罪(子供だろうと、万引きなり脅迫なり、やっていることは犯罪だ)を抑止するための教育とかしつけをすべきであろう。それでも不足があれば、親族なり周辺の近隣家族なりという地域でのサポートが望ましいが、それぞれの家庭にも余裕がない場合は行政が対応することになる。そして、もちろん教育機関にも一定の役割はあるが、既に学校教員の手に余ることは明らかであり、上記のようにアメリカでは学校に警察官が常駐するしくみがある。

僕は以前から、学校にも警察官が常駐するべきではないかと言ってきた。学校が何らかの「聖域」のように社会から隔絶してしまうのは良くないし、教員には構内という限られた範囲ですら子供の犯罪を察知したり抑制する力はないと思うからだ。しかし、上記のレポートにあるとおり(そして上記のレポートで報告されている状況に限っての話だとはいえ)、警察官が常駐していようと犯罪率は低下しない。そして、これは公に検挙された件数だけで捕捉している統計なのだろうから、実際にはもっと多くの不正で悪辣な行為をやっている子供がいるのだろう。確かに、凶悪犯罪が抑止されて軽微な犯罪が増えても、結果として数が同じという結果になりうるので、そういう効果があればマシだと言えるが、そういうわけでもなさそうだ。となると、保険医やカウンセラーよりも警察官が多いという状況は変えなくてはならないのだろう。

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