Scribble at 2022-07-25 09:23:27 Last modified: unmodified

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発掘調査によって古代の道路築造技術の意外な高さがわかってきた。秋田城跡(秋田市)や多賀城跡(宮城県多賀城市)などで、実際に歩いてその感触を確かめることができる。

秋田城跡の復元大路で体感 想像以上に高度 古代の道路築造技術

僕がいつも不思議に思っているのは、古代の遺物を詳しく調べて「昔もこんな高度な技術があった」と驚いている様子しか分からないということだ。実際、考古学を学んでいた頃も、水時計だの造営・土木技術だのについて、当時の知識や技術を「高度」と評する論説は数多くあったのだが、その評価の根拠がよく分からない。古代の人たちについて〈この程度の技術であったろう〉という思い込みが裏切られたというだけなら、それは当人の思い込みを修正しているだけのことであり、客観的な評価ではあるまい。平安時代なら平安時代について、所与の事実から推測できる技術としては〈ここまでが限界であろう〉という最初に仮定するべき技術水準を明解に説明してから比較するならともかく、予想外だの高度だのと騒ぐだけなら新聞記者や作家でもできる。

そして、もう一つ分からないのは〈ギャップ〉の説明がないことだ。どういうことかというと、何百年なり何千年も前に想定していたよりも「高度な」技術が実用になっていたのであれば、それがそのまま発達したら現代の技術はもっと進んでいた筈であろう。なぜなら、その技術が、現代の技術水準から逆算して数百年前ならこのくらいであったろうと想定した範囲でしかないなら、それは別に現代から見て驚くような段階に到達していた技術ではない筈だからだ。すると、もしそのまま進展していたなら現状よりも更に進んでいたであろう技術が、どうして期待するほどには進展しなかったのか。当時から現代までのあいだに、技術の進展が遅滞するなり止まってしまったという〈ギャップ〉が生じた事情とか原因はなんだったのだろう。こういう観点の説明も、考古学や歴史学の著作で明解に論じられた事例を殆ど見たことがないし、大半の歴史学プロパーは興味すらないかのようだ。

ただし、これには理解できる事情もある。このような〈ギャップ〉は歴史学や考古学の資料を調べているだけでは分からないことも多いし、自分が専門にしている時代とは別の時代も丁寧に調べなくてはいけない。そして、恐らくはかような〈昔にしては高度な技術〉と評価できるものは、実際のところたくさんあっても大半が残っていないか継承が進んでこなかった可能性だってあろうからだ。継承する方が、色々な意味で有能でなくてはいけないとか(凡人が継承すれば長期的には廃れてしまうとか)、あるいは当時は国家やコミュニティ、いやそれどころか携わっている当事者たちですら後世に残すべき優れた技術だとは思っていなかった可能性もあろう。

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