Scribble at 2022-05-23 09:10:57 Last modified: 2022-05-25 07:07:14

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コマンドをターミナルから入力するだけなので、私はaptでGoのインストールと最新版の移行を管理していたのですが、今回ばかりは更新が遅すぎます。

ubuntu系Linuxの方へGoのインストールはaptはダメよ

そういう不満もあるとは思う。

Ubuntu というか Debian 系統の GNU/Linux ディストリビューションで使ってるパッケージ管理システムの apt を使うと、どうしても参照するリポジトリに最新版のパッケージがないという状況もありえる。これは CentOS (RedHat) でも同じだし、他の専用パッケージを使う OS(もちろん Windows や macOS も含めて)でも同じ事情だ。RetHat 系統のパッケージ管理ツールである dnf (yum) を使っていたら、OpenSSL なんて最新版がいつになったらリポジトリに入るのかと思う。そして、IaaS や VPS を利用していたら、サーバ会社が専用のリポジトリを設定していて、そこに入ってるパッケージが呆れるほど古いということもある(ねぇ? さくらインターネットさん)。これは、ソフトウェアをリリースしている組織が OS ごとにバイナリを用意してくれていなかったり、あるいはオリジナルのソースコードから各ディストリビューションの専用パッケージに移行してくれる、リポジトリのメンテナンス担当者がいなかったり、いくつか理由があって仕方のないことだ。

特に、僕のように自宅では Raspberry Pi Zero W (Debian, Bullseye) を使っていると、apt 以外にアプリケーションをインストールする方法は限られている。ARM しかも amrhf(32 ビット)という特殊な環境であるため、いまでは大半のツールやソフトウェアが 64 ビットのアーキテクチャに対応してパッケージをリリースしている昨今では、Raspberry Pi 財団が提供している公式のリポジトリに入っているパッケージが古くて更新が遅いのも当然だろう。

しかし、たいていの場合は悲観するようなことでもない。ましてやメンテナーに文句を言う筋合いの状況でもないのだ。

上記のサイトは Go について2021年の2か月ほどだけを使って書かれた入門用のドキュメントを公開しているようであり、筆者は2020年からプログラミング言語をいくつか齧っている完全な初心者で、プログラムを公開するのが目標だという。よって、サイトのコンテンツはおおむね公式ドキュメントや man ページを書き写しているようなレベルだ(*)。つまり、公式サイトに掲載されている最新版のマニュアルに比べて、リポジトリに用意されているパッケージのバージョンが古いというありがちな理由で、上記のような不満が生じるのは仕方のないところだろう。しかし、プロの技術者という立場で言わせてもらえば、大半のプログラミング言語、あるいは WordPress や jQuery のようなものでも同じだと思うが、そういうものは1年や2年前のバージョンだろうと、初心者が使う分には何の心配もない。メジャー・バージョンが変わってしまうと仕様に大きな変更がありうるので注意する必要はあるかもしれないが、最新で 1.18.2(Go の2022年5月23日時点の最新安定バージョン)となっている処理系をパッケージ管理ツールで自分の環境にインストールしたら 1.7.x や 1.5.x だったからといって、それで何がいけないのかと思う。

いま僕らが手にしている書籍やウェブ・ページの大半は、もっと古いバージョンを想定して書かれているのだ。1.4.x や 1.2.x をベースに書かれている Go の教科書を読んで学んでいる人間が、処理系だけ最新版を使いたいなどと望む妥当な理由などない。最新版かそうでないかで挙動の違いに悩むなんて、10年早いのだ。

あくまでも procedural programming で書く PHP に限定しての話だが、基本的なプログラミングの手順や制御構文やビルトイン関数やデータ型の範囲だけで済むなら、PHP でもそれこそ10年前のテキストがいまでも使える。標準ライブラリ関数と基本的な構文しか使っていない C 言語なら、30年前に書かれたアルゴリズムの教科書すら、いまでも十分に読める。というか、プログラミングの勉強について伝えるにあたり、(1) 統語論、(2) 意味論、(3) アルゴリズムなどの観点のどれを採用するかによって、(2) や (3) の観点を採用するなら構文の変更などは大した問題ではないと考える著者もいよう。

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* よくそんなレベルで就職指南とかプログラミングの学習指導なんて書けるものだと呆れてしまうが、ウェブでは素人や馬鹿やキチガイや詐欺師でも「天才プログラマ」や「隠れた大思想家」を名乗れる気楽さがある。そうして知性や教養の下方圧力によって悪循環となるのが凡人の文化や民度というものだが、これには幸いなことに「終わり」がある。まったく幸運なことだが、天才にはいまのところ上限がないけれど、凡庸さや愚かさには制度や文化や生理条件に応じた下限があるのだ。

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