Scribble at 2023-10-16 08:50:03 Last modified: 2023-10-16 19:11:28

僕は就労者、サラリーマン、あるいはエンジニアと言ってもいいが、ともかく働く人としてのモットーというかスタンスというか態度として、必要と判断したことは即座にやるようにしている。したがって、林修氏の有名なフレーズとして知られる「いつやるか? 今でしょ!」というのは、職業人としての僕の方針でもある。

もちろん、これは是非ともやるべきことが明確に一つだけあって、それだけをやっていればよく、しかもやり始めて短時間で終わるというなら話は簡単である。重要な単語を3つだけ覚えましょう。「いつやるか? 今でしょ!」というわけで、その3つを5回ずつ暗証して覚える。これだけなら、いまやっても他の作業や思考の邪魔にはならないであろう。仕事に置き換えても、僕は事業部門で毎週の定例として開かれている会議の途中に、進行している議案なり話題と関係のある報道記事のページとか官公庁のページを検索して、参考として事業部門全員で参加しているチャット(Google Chat の場合は「スペース」と言う)に URL を投げたりしている。こういうのも、会議の進行をフォローしつつ検索して URL を投稿するなんてことに、大して時間も手間もかからない。確かに URL を投げると議事の進行が中断してしまう可能性はあるが、そのページを見るか参照しないかは各自の判断でよいだろう。(ただし会議で話している内容が間違っていると言いたいときは、URL を示して議事に介入することもある。)

すると、難しいのは「いつやるか? 今でしょ!」と言えるほど重要なことが複数あったり、いますぐにやるべきだとは言っても、それを終えるのに数時間どころか1日以上もかかるのであれば、目先のタスクとして次から次へとこなしていくというわけにはいかないので、トリアージしなくてはならなくなる。ただ、そういう規模のタスクであれば、(1) 重要度や緊急性を比較しやすければトリアージは簡単であるし、(2) 重要度や緊急性が比較しにくければ、逆にこれもトリアージは簡単である(どちらを先にやろうと誰も疑問を覚えたり文句を言わないからだ)。すると、こういう場合に注意しないといけないのは、僕自身の判断力というよりも寧ろ、(2) の場合にどちらを先にやっている方が、それを眺めている他人から良く思われるかという自意識あるいは印象の問題でしかないのだ。

それでも、(1) のような事例が本当に比較しやすいタスクどうしのトリアージになっているのかどうかという問題は残るかもしれない。ひょっとすると、簡単に重要度や緊急性が分かるし比較できると僕が思いこんでいるだけでしかないという可能性が残るからだ。しかし、トリアージはタスクどうしを比較するという作業なり判断自体が即座に実行できなくてはいけないことなので、それを疑っている余裕はあまりない。やはり、そこは或るていどのコミットメントとしてリスクを承知のうえで断定してしまうしかない。そして、もし判断を間違えたのであれば、そのトリアージにおいて比較や判断の基準に置いた尺度とか、その尺度でどう評価したかという記憶を後から反省することが大切であり、そのためにも記録とか日誌をつけることが多くの社員に求められて良い。

というか、会議の個人的なメモとか、何かを決めるときにどう考えて決めたとか、自分で簡単なメモでも残さないのかね。そっちの方が不思議なんだよね。自分のやったことを全て記憶しているわけでもないし、それを必要に応じて正確に思い出せる保証があるわけでもない、凡人というか大抵の人は大学教授でも大企業の経営者でもそうだろうと思うけれど(経営者や政治家の場合は後から査察に入られたときに困るから、敢えて記録は残さないのかもしれないがね)、そういう人々がものごとを決めるにあたって記録を残さないというのは、僕には理解し難いものがある。そういう記録を眺めて自分の判断なり評価を是正したりブラッシュ・アップしていくしか、物事を正しく進める方法はないと思う。それ以外は、ただの思いつきではないのかという気がするね。そういうラッキーだけで仕事や経営や学問ができたという幸運な人はいるのだろうけど、とても参考にするような生き方とは思えない。いわゆる経営書の多くが読むに値しないのは、結局はそれが理由なのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook