Scribble at 2023-10-10 16:51:00 Last modified: 2023-10-10 16:55:19
このところ、街宣右翼も見かけなくなったし、ネットでは噴き上がりのネトウヨばかりが大手を振ってデタラメやヘイト・スピーチをばらまき続けているし、自民党の水脈だか風水だかつまんない芸名(本名なの?)の陣笠オバハンが口にする暴言ばかり注目されている始末だ。
で、右翼っていまは何してるの? たとえば、彼らにしてみれば許し難いような考えを信者に植え付けて、日本の女性から大金を巻き上げたり、あるいは朝鮮人と結婚させたりしている、例の解散命令が出るという宗教団体について、右翼だろうと民族派の団体だろうと、何か声明を公式に出したなんて話は全く聞かない。ああしたことは、派閥なんて関係なしに日本中の右翼団体が話し合って所見を発表したらどうなのか。
あるいは、ああした目立つ事例に対してでなくても、伊達や酔狂で「日本」とか「愛国」といった言葉を口にしたり、あるいは戦闘服の裏に刺繍しているわけでもない以上は、それ以外の多くの事案についても何事か語るべきことがあろう。それこそ、ネトウヨなんていうインチキな若造とか、あるいは一説に広告代理店の下請けがツイートしているとすら言われているようなクズ同然の連中に言論として負けているようでは、敢えて保守の人間から言わせてもらうが情けないという気がするぜ。
もちろん、例の某宗教の教団施設や関係者にテロ行為を促しているわけでもないし、単なるパフォーマンスを期待しているわけでもない。
右翼の単なるパフォーマンスなんて僕は評価しない(よって、野村秋介氏の自殺も残念なことだったと思う)。敢えて繰り返すが、僕は三島由紀夫の自殺なんて思想的にも政治的にも、これっぽっちもインパクトなんてなかったと思っている。たかが物書きが自殺したくらいで、国家や文化が変わるものか。何を思い上がっているのかという気がするね。そうではなく、彼は物書きである以上は書き続けるべきだったのだ。思想なり生き方として何事か訴えるべきものがあるというなら、やはりしっかり訴えたらよろしいのである。死んでインパクトを与えたら何かが変わるというのは、僕には卑怯者の発想だとしか思えない。だって「それが何なのか」と問うたところで、答えるべき人間は既にいないからだ。よく文学者は自分で問うて自分で答えを見つけよと言うけれど、政治はそんなものではない。立法であれ行政であれ、他人の暮らしも巻き込むからだ。たかだか小説を読んで、自分ひとりでセンチメンタルな空想を思い描くのとでは、影響力はまるで違うのである。