Scribble at 2025-06-01 11:30:31 Last modified: 2025-06-01 11:35:20
数学の勉強、特に独習していて困るのが、或る分野の教科書を読むために(たいていは大学の課程で同時並行で教えられているような)他の分野の知識が必要とされる場合があるということだ。たとえば、線形代数の初等的な教科書を読み始めると、そこに同じ学部レベルの解析学を学んでいないと分からないような偏微分が出てきたり(高校の数学では教えない)、あるいは代数系(昔は抽象代数と言った)の体とか群といった用語が未定義で使われたりする。実際に複数の科目を同時並行で学ぶ数学科の学部生にとっては問題がなくても、だいたいにおいて一つの科目を一つずつ学んでいる独習者にとって、こういう内容の教科書は読み進めるのが難しい。
僕が二十代に数学の勉強をしていた頃、先に紹介したアッシュらの工学的なアプローチで書かれたテキストも先輩の勧めで読んだのだが、それよりも更に(特に学部時代)培風館の「現代数学レクチャーズ」で学ぶことが多かったのは、こういう困惑させられるようなことが非常に少ないテキストが多かったからだ。一般的に、このシリーズの本は共通して公理論的なアプローチで叙述されるので、「文系」には難しすぎると言われたりするが、それは単なる思い込みにすぎない。実際には文系だろうと理系だろうと、論理的に厳密かつ厳格な思考をする人ほど、こういう公理論的なアプローチで building block を積み上げるように書かれた教科書の方が分かりやすいと感じるものであり、そこで扱われることがらが数学であるか経済であるか平安時代の文学であるかは、そういう人にとって実は大きな違いではないのである。寧ろ、わかろうとわかるまいと導入されたルールに従っているうちに分かるという、よく「数学的センス」などと言われる雑な仕方で展開される大半の数学の教科書の方が非論理的であり、そういう教科書で学んだ人々が「理系」と称して自分たちのパズル解きさながらのスタイルを自然科学者の典型であるかのように勝手に騙っているにすぎないというのが、科学哲学者としての僕の診断である。