Scribble at 2021-02-08 13:23:26 Last modified: 2021-02-08 20:36:18

「僕のいる世界では下痢で子どもを失う親など、1人たりとも会ったことがない。そこで不思議に思った。世界は大量にある資源を使って撲滅策を講じているのか?」

あのビル・ゲイツが「トイレ革命」に挑戦する訳

ビル・ゲイツはワクチンとか蚊の退治とか、途上国での対策を色々とやっているが、トイレの開発にも取り組んでいるらしい。思えば、高校の地理歴史研究部というクラブの合宿で夏休みに行った、愛媛県の生名島では、古代の遺跡について調べるだけではなくダウンストリーム行政についても調べて、下水や汚水の処理については研究者も成果も少ないし、知ろうとする人だって少ないことを実感したものだった(自分の専門とか興味があることだけではなく、他にもテーマを選ぶことが課せられていた)。それ以降、日本の(下水道だけでなく)インフラ全般のメンテナンスが危機的な状況に陥りつつあることとか、もちろん昨今の排水処理だとかプラスチックによる海洋汚染(繰り返すが、海洋汚染の問題はプラスチックだけの話ではない)だとか、説明すれば誰でも分かることだが、目を向けたくない人も多い話について、一定の配慮や注目はしていたのだが、なかなか進展しないものだ。

昨日、NHK の特集で取り上げられていた水資源の枯渇とか用途の偏りという話にしても同じであろう。水資源の使い方がおかしいとか、フェア・トレードとかは、もう何十年も前から報道されたり出版されているのだが、このところ続々と出版物が出ている SDGs すら企業や個人には普及していない(つまり営業トークのネタとして知ってる人は増えても、そんな連中が実際に無駄な買い食いや過度の暖房を止めるとは思えない)。また、環境については(科学)哲学でも議論されてしかるべき筈だが、ほぼ日本で「環境の哲学」と称するものを取り上げているのは、簡単に言えばただの左翼だったり宗教的な活動家だったりするから、たいていのプロパーの興味を惹かない。道徳の問題にミスリードしたり、あるいは経済的・政治的な利害関係や党利党略のことしか頭にない人々の訴えには、学術としての関心を持ちにくいのは当然である。

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