Scribble at 2025-03-01 21:52:01 Last modified: 2025-03-01 22:08:10
このところ美学や哲学でも AI について論じたり解説している通俗本が続々と出ているけれど、どうも念頭に置いている「AI」として ChatGPT しか知らないんじゃないかという人が非常に多いという印象がある。つまり、機械学習や統計学の初歩的な勉強すらしてないように見えるまま、AI に美は表現できるのかとか、シンギュラリティがどうとか、そういう半世紀くらい前のアメリカの学部生がやっていたようなレベルの話をいまだに東アジアの素人ザルに説明して小遣い稼ぎをしているとしか思えないような人たちが、日本の大学の人文系学科で教えているのではあるまいかと思える。
まぁ、似たような手抜き仕事は他にも見受ける。「科学的思考」というフレーズを振り回して、程度の低いクリシンや「常識批判」などというステレオタイプな哲学のおしごとを繰り返しては、素人の偏見との予定調和を続ける他に飯をくうすべがない若者たちだ(もう「若者」ではないのかな)。正直なところ、自然科学の範疇だけでしか「科学的」というアイデアを表現したり解説しないというのは、どれがどのていど初等レベルの話であっても、ぜんぜん効果的に伝わらないと思うんだよね。コロナ禍や東日本大震災のときにも、アウトリーチが大半が無効だったのは、要するに社会科学や社会心理学との連携をぜんぜんやっていなかったからであって、社会科学を学んだ経験から言って科学哲学のプロパーにはアウトリーチにかかわるコア・コンピタンスがないんじゃないかと思うよ。社会経験が不足してるっていうベタなレベルの話も含めて。東大生の相手をしてるくらいで若者や初心者を理解してるなんて錯覚しないことだ。それこそ、対話形式で書かれたブルーバックスなんかで東大のドクターレベルの人物を「高校生」のモデルに設定するような愚行と同じだ。
それと、あいかわらずフッセルやヘーゲルを1時間ていどの読み物で理解するとか豪語している、都内の有力教授らが手掛けているクズみたいな入門書のたぐいだ。この手の本も、いつまで同じことをすれば気が済むのか(たぶん死ぬまで待つしかないんだろう)と思うのだが、同じことを繰り返しておれば飯が食えるという伝統が都内の大学と出版社で続く限り、新しく購買層に加わる未熟で無知な青少年は急に減ったりしないので、安泰なのであろう。なんしか、彼ら「哲学の一見さん」に売れたらそれでいいのだ。そして、彼らが「哲学はつまらない」とか「哲学は役に立たない」と X に書いてくれたら、実はコンプレックスをもってる青少年が逆に買ってくれたりするのが、マーケティングの不思議なところなのである。
でも、日本人の人口が100万人くらいになったら、そんな若者の数だって事業継続が不可能な人数になるであろう。そして、その責任の一端かもしれないゴミをばらまいてきた都内の大学教授というのは、既に死んでいる。まぁでも、そういう状況での苦境を若手の哲学プロパーが押し付けられるのかと言えば、その頃には有能な若手は全て韓国か台湾の大学で教えてるかもね。あるいは、ロシア領になった北海道の大学や、中国の自治区になった沖縄の大学とか。あとはカスみたいなのが残るだけだから、こんな国はどうでもいいやってことになるのかもしれん。もちろん、僕はそれをよしとは思っていないからこそ、何かやろうとしているわけだがね。でも、僕が生きているあいだに達成できる保証はないし、自分なりにまともな成果だと思えるものができたとしても、それが適した相手に伝わる保証もない。