2018年10月16日に初出の投稿

Last modified: 2018-10-16

自分と違う考え方の人達を見つけるとすぐに「ヘイトだの、差別だの、休刊しろだの」と言える人たちは、日本の思想空間における強者の論理を謳歌していて実に羨ましい。リバタリアンにとっては日本の媒体は休刊してほしい媒体だらけであるが、そんなことを言えば自分たちの主張を述べる場が無くなるに決まっている。たまにチクッと刺す程度のことしか言えない。媒体に何らかの原稿を出すときもリバタリアン100%で出すわけにもいかないので、媒体特性に配慮しながら何割かリバタリアンイデオロギーを盛り込むくらいだ。

あるリバタリアンから見た「新潮45休刊」問題

こういうのって、見てると首尾一貫してないんだよね。よくある右翼の「われわれはマスコミで発言する場がない、しかるに肉体言語を使うのだ」みたいなアホ理屈(その究極が三島由紀夫だろう)と同じだ。自分たちは弱い、しかし物事の真理を弁えている、みたいな、オンラインによくいるドクター崩れの無能な自称思想家とか、適当な本を何冊か読んだだけで世の中の真実を知ってしまった系のキチガイと同じである。リバタリアンは、そもそも他人に発言の場所をお膳立てしてもらうようなヘタレ集団なのか? であれば、どうしてその口で一切の公的補助や社会保障を否定するみたいな強がりが言えるのか。こういう事例を見ても分かるように、しょせんリバタリアニズムというのは成金の結果論あるいはイデオロギーの皮を被った言論の道楽である。

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