Scribble at 2025-08-28 16:37:37 Last modified: 2025-08-28 16:52:16
日本人が苦手とする英語の句動詞は、じつは動詞部分よりも後に続く前置詞や副詞の方が重要な役割を果たすことがあります。ネイティブは句動詞を感覚的に使いこなしていますが、彼らの脳内で句動詞はどう見えているのでしょうか。
今日は出社していて、会社には1時間ほどいただけで自宅へ戻ったのだが、帰路にジュンク堂へ立ち寄って、前から買おうと思っていた本書を手に入れた。最初に書店で手に取ったのは何ヶ月も前だったのだが、プライバシーマークの更新審査の申請が完了して、ようやく一息つけることとなったので、こういうものもしっかり使いたいと思って、ようやく買って使う気になった。
本書は、簡単に言えば句動詞の類語辞典である。動詞の後につながる語句で分類するというユニークな編集方針なのだが、これには一理ある。僕は、英語でものを書いているときや、あるいは(誰かを相手にして話す機会は殆どないが)、イメージ・トレーニングのようなものとして列車内などで想像しているときに、自分の文章表現や発話している表現について感じることなのだが、句動詞を効果的に使えていない。その理由は、句動詞そのものを習得していないせいもあるのだが、実は「句動詞」として習得するよりも、句動詞の構成要素となりやすい前置詞の正確で柔軟な使い方ができないせいだと思っている。逆に言えば、前置詞を使うセンスが身につけば、わざわざ句動詞などと区切って覚えなくても、主要な動詞に前置詞を当てはめれば目当てのニュアンスになるということはよくある。そのニュアンスを掴むために、前置詞をあやつるセンスが必要なのだ。僕が高校生の頃に、当サイトでも紹介している松本道弘という人物が『GIVE GET 辞典』というものを出していたのを思い出すのだが、実は give と get の使い方の問題ではなく、それらの単語に繋がる前置詞などの語句を結びつけるセンスの問題だったのだということを理解できたのは(そして、それゆえ『GIVE GET 辞典』を古本屋に手放せたのは)、ようやく大学に入ってからのことだったと思う。
当サイトで公開している「英語の勉強について」という論説でも少し触れていることだが、日本には、こういう英語のすぐれた参考書がたくさんあるし、毎年のように新しい英語の参考書や単語集が続々と出版される。リソースの質や情報量だけで言えば、アメリカやイギリスでの英語教育(つまり彼らにすれば「国語」であるが)に使う教材を除けば、世界中でも屈指のレベルにあるはずなのだが、どういうわけか大半の国民が殆ど英語をまともに読み書きしたり話せないし、いつまでたっても出鱈目な理解の英語で社名やサービス名や公共施設の解説を書いて平気な顔をしている。本書も、中学時代にあれば小躍りして読みふけったであろう良書だと思うのだが、たぶんこういうものが出ても焼け石に水なのであろう。若者が高校を卒業するときに最低でも英検準2級をとっているとか、学習アプリが流行っているとかいう話はよく聞くのだけれど、その「最近の若者」が英語を苦も無く使って趣味や仕事に活用している様子は、社内だろうと SNS だろうと僕の印象に残らない。
だが、これも当サイトの論説で指摘していることだが、一時的な暗記だけで得た英検準2級の資格だとか、あるいはアプリで英単語を覚えたスコアだとかがどれほど積み重なろうと、しょせんそれらを生活や仕事で使わなければ急速に忘れてしまう。これは、英語に限らずあらゆる知識や分野においての真理である。いちど習得したら忘れないと言われる自転車の運転ですら、長らく乗っていないと、いきなりロード・レーサに両手を離して乗れと言われても怖いものだ。つまりは、日本の若者が英語を扱えるようになっているというのは見かけの話でしかなく、実際にはペーパー・ドライバーが増えているだけに過ぎないというのが実態であろう。僕自身は、というか大学院の博士課程に進学していた人間なら国文学専攻だろうと獣医学専攻だろうと誰でもそうだろうが、少なくとも英検準1級ていどの運用能力はあると思っているのだけれど、周囲の若者、つまり僕の場合なら WeWork で見かける他の会社の若手とか、弊社の若手に、同じ程度の運用能力がありそうな様子を見かける事例はほとんど・・・というか一つもない。仕事で英語を使っている様子を見かけるのは、WeWork でもたいていは中国か韓国の若者だ(英語を話していないときに中国語や朝鮮語を話しているので、日本人ではないだろう)。もちろん、探せばいるとは思うのだけれど、逆に言えばわざわざ丁寧に探さないと英語を使える日本人の若者が見つからないというのでは、これまでと事情は殆ど同じである。