Scribble at 2024-03-02 07:44:37 Last modified: 2024-03-04 08:02:58

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自由エネルギー原理

Wiki に限っての話ではなく WWW というコンセプトそのものが最初から予定していたことなのだが、なにも一つのサイトでコンテンツを包括的に提供する必要はないわけで、ウィキペディア財団の Wikipedia だけがオンラインのフリーな百科事典を提供する必要も義務もないわけである。なので、こうやって編集方針が異なる wiki があっても構わないし、寧ろこれらの連携が増えると、素人が好き勝手に書いたり編集しているコンテンツへの牽制なり相対化になる。そして、僕自身がふだんからスマートフォンのアプリケーションに数千のエントリーを保存して読んでいる(僕は iPhone にゲームは入れない方針なので、スマートフォンのアプリケーションでストレージ容量を最も多く使用しているのが Wikipedia だ)ユーザであるからこそ、やはりウィキペディアのエントリーには多くの不備や間違いやリスクがあると分かる。

さて、いっときは最新の脳の理論として一部で騒がれた FEP だが、こちらで、つまり PHILSCI.INFO で科学哲学者として取り上げるまでもない話題としてのステータスしかないというのが僕の現在の見立てである(もちろん、科学哲学として扱うかどうかは適切かどうかの問題であって、優劣の問題ではない。科学哲学の話題の方が高尚だとか重要だとか言いたいわけではない)。なにやら新しい理論であるかのように思われているのは、道具立てとしてベイス統計学を持ち込んでいるからにすぎず、しかもベイス統計学なんてコンピュータ科学や人工知能の世界では古典的とすら言えるモデルであって、なんでこれが最新の脳科学のモデルなのかという気がする。僕には、まだマーケティングの産物として騒がれているにすぎない、数学的なおもちゃでしかないというのが実感だ。BJPS の short reads というポッドキャストでも簡単に紹介されて(そして、切り捨てられて)いるように、FEP というのは、脳はエントロピーを最小化するフィードバック機構だと言っているにすぎない。もっとマスメディアに受ける言い方をするなら、「脳は予定調和を好む」というわけである。これだけのアイデアを吹聴するのに複雑な統計学の数式なんて持ち込む必要はなかろう。

で、この手の理屈がマスコミ受けしやすいのは、出版・マスコミの世界にたくさんいるインチキ全体主義者とかエセ環境主義者の、それこそ予定調和と言ってもいいような想定内に収まる議論だからだ。つまり、意識とは脳と外部環境との相互作用によって生み出される固有の状態なのであって、それを機能や部位や物質的な構成として解析するだけでは分からないものだ、というポモの残滓みたいな思想に取り憑かれている人々である。で、こういう人々にとっては、自分たちが理解できないか勉強しようともしない理数系のベイズ主義によっても同じ「答え」が出るということに勇気づけられるので、内容の吟味や検証なんてそっちのけでマーケティングに走るわけだ。俗書を次々と出そうとしてみたり、あるいは SF のプロットに採用してみたりということが起きて、一般人にも「有望な理論」であるかのように蔓延していく。でも、正直なことを言えば、ザビーネ・ホッセンフェルダーの議論を持ち出すまでもなく、物理学の「超弦理論」や宇宙論の「多世界モデル」などと同じく、何の実証的な根拠もないファンタジーだと思う。

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