Scribble at 2023-04-30 09:06:53 Last modified: 2023-04-30 10:24:28

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LGBTQIA+ Rights

趣旨としては分からなくもないのだけれど、もうこれでは何の略なのかもわからんよ。何年か前に、EXILE のメンバーが10年後に地球の人口を上回るみたいなジョークの meme が流行ったことがあったけど、同じように10年後には「LGBTQIACOMEWSFUL...」とか、結局はアルファベットを全て使い切るまで増えるんじゃないかとか、アメリカでもそういうジョークのネタにされる可能性はあるよね。

差別されている、あるいは人権を抑圧されている境遇の人々を、それぞれの名称なり略称を繋げるだけで何かを言い表せるという発想は、僕はたいへんに貧困なことだと思う。僕は、そこまで言語というものを信用していない。かつて(今もそうみられているのかもしれないが)分析哲学の学生として学位を得た者の一人として、僕らはそう簡単に言語表現とか、それに付随している観念というものが、僕らの生活とか感情とか文化とか、ともかく一切合切について(そう。たとえそれらの表現が「『ガリガリ君』のコーン・ポタージュ味」とか「名探偵コナン」とか「2022年度の IBM の新入社員」とか、あるいは "tail latency" や "supervenience" のような概念や学術用語であろうと)何事かを正確に言い当てたり、ましてや「対応」やら「合致」なんてしてる保証など全くないわけである。

したがって、L だろうと G だろうと、それら一文字の略語ですら特定の人々を代弁したり的確に言い表している保証などないわけで、実際のところたいていの場合において一部の人々だけが「レズ」だ「ゲイ」だと言われることによって、そこにおいて無視されたり軽視されたと感じた人々が異なるコンセプトを打ち出したり、酷い場合は内ゲバを起こしたりする。いまっでは殆ど語られないし、社会言語学では別の概念になっているのかもしれないが、高校時代に「ロゴロジー」(ことばによる駆け引き、政治)というコンセプトを解説する本を読んだ記憶があって、そのころからリテラシー教育だ、loaded language だという話題を目にするたびに、どうしてこんなに古くから議論されているコンセプトを表装替えだけして新しい知見であるかのように言い立てる無能な学者が多いのだろうかと不思議に思っていたのだ。でも、こういう話題は言葉に関する幅広い知識や実体験も必要だし、とても一人では調べたり議論できないため、個々の研究者が叫んでいるだけではなかなか成果が積み上がらずに進展しないため、こう言っては気の毒だが表面的な分かりやすさのために一時的な興味を引く話題なのだが、すぐに息切れしてしまう。たいていの凡人、あるいは「言葉の暴力」なんて叫んでるだけの、都内のインチキなリベラルや旧来の左翼なんて、本気でこういうことを調べたり勉強する意欲や動機、あるいは見識でもいいが、そういうものには欠けているからだ。なぜなら、彼らの大半は差別と関係ないところで生きているからである。都内の自称リベラルなんて、東京には被差別部落がない(「同和」や「在日」に関わる人権の問題は、殆ど大阪の政治ネタだと思ってるだろう。それは、君らがアクセンチュアや Softbank で働いてるインテリ黒人しか見たことがないからだ)と思い込んでいるし、弾座衛門すら知らないだろう。

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