Scribble at 2023-09-30 00:06:26 Last modified: 2023-10-01 16:10:02

インボイス制度に絡んで、またあの田端信太郎が帰ってきたようだ。一定のタイミングで燃料をぶちまけないと、あの手の連中はプレゼンスが保てないので、こうした弱者を攻撃するのに最適な餌を与えると、かようなリバタリアンっぽい連中は喜んでヘイトを撒き散らしてくれる。まったく、都内の企業っていうのは、こういうバカを社外役員にするしかないのだから、ほとほど呆れてしまう。都内のベンチャーなんて、黙ってインチキな商売を続けてりゃいいのに、こういう悪目立ちするバカを飼って色々なところからヘイトを集めて何がしたいのか。ヤクザのペーパーカンパニーでも、もうちょっとうまい視線の外し方をするものだぜ。

で、この田端信太郎っていうのは、今風のリバタリアンっぽい炎上発言が有名だけど、冷静に歴史を思い返すと内ゲバやってた過激派の学生と同じなんだよな。自分にとって都合がいい仲良し以外は死ねって言ってたら、最後にてめーしか残らなかったっていうパターンだ。そして、これは自由という概念を根本的に誤解しているリバタリアンの本質でもある。結局、てめーのやりたいことは何でもしたいみたいなことを言ってるガキみたいな連中にとって、最大の障害というのは、まさに人間関係だからだ。よって、リバタリアンの理想というのは、自分以外の人類が死滅した世界なんだろう。そこでは、たぶん自分の命令で自分のためだけにあるロボットしかいない。

何が言いたいかというと、要するにリバタリアンや、あるいは僕が悪い意味の権威主義だと考えている愚劣な思考なり思想というものは、人の社会が圧倒的多数の凡人や無能な人々によって形成される他になく、そうした人々の凡庸で慎ましい人生や仕事の集積によって支えられているという事実を無視したり軽視しているところに特徴、そして最大の欠点がある。彼らがどれほど数学を使ってテクニカルな議論をしようと、その初期値や前提が完全に間違っているからこそ、彼らの理屈は自滅的な結果しか生まない。しかし、たいていのリバタリアンというのは金持ちだったり、あるいは逆に失うものがない(と思い込んでいる)無職のガキとかだったりするので、その「自」に自分は入っていないというわけだ。よくいるよね。「われわれの社会なんてものは云々」と言いつつ、こっそり裏で「われわれ」の中から自分自身を逃してしまう物書きの手合が。そういう愚劣で人でなしの典型が、リバタリアンである。

金持ちはもともと自分自身が貧乏だった出自であっても、橋下徹氏のように一定の資産や地位を持った上で弱者を切り捨てるような政策を語るので、僕がここで何度も言っている「梯子外し」が簡単にできる。自分たちがいまの地位を築いた(良くも悪くも条件だった)競争社会とか親の財産といったものを無視して、ぬくぬくとした地位を維持した上で「脱競争社会」だとか「世襲制反対」とか言い始める。必ずしもリバタリアン政党とは限らないものの、大阪維新とかによくいるタイプだ。

あるいは学生や失業者などにいるのが、既存の制度をとにかく破壊だけしたいという理由でリバタリアンを支持し、弱者であれ自分たちより少しでも何かを享受していれば、インボイス制度によって納税しなくてはいけないのに発注者へ請求額アップを交渉できない人々でも仕事はあるからヘイトを向ける対象となり、あるいは生活保護を受けている人々もヘイトを向ける対象となって、表面的にはリバタリアンと一緒に自己責任論をぶちあげる。そうして、この田端信太郎みたいなやつのツイートに「いいね」とタップすることになるのだ。ちなみに X になって呼称が変わったみたいだが、そんなもん知ったことか。ツイートとかリプとか書いても大半の人は分かるのだから、それでいい。

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