Scribble at 2026-03-18 17:33:19 Last modified: 2026-03-18 18:27:43
初代「マクロス」というと1982年だから、ちょうど僕が中学生の頃に放映されていた作品だ。もちろん、勉強だけでなくアニメや漫画にも同世代の子供らしく触れていたので、そのころに放映されていた他のアニメだとか漫画も観たり読んだりしていたのだが、どういう事情だったかは分からないのだけど、ファースト・ガンダムだけはリアル・タイムで観ていないので、実は僕がファースト・ガンダムを初めて観たのは「イデオン」よりも後の再放送だか映画なのである。そういう時期に「マクロス」を観て、学校でもいっちょまえにアニメの評論とかを書いて同人雑誌のようなものを作る同級生とか先輩がいて、単に面白いのなんのと喋るだけではなくて、子供がテレビ番組なり娯楽について「論じる」というかかわり方をするようになったことを感心して眺めていた記憶がある。いまでこそ「おたく」という言葉があったり、いやわざわざそんなことを言って自意識プレイなどしなくても、ごく普通に野球の試合や小説について語るような調子で、多くの人が、いやそれどころか学者までアニメや漫画を論じるようになって久しいわけだが、45年前は当たり前でもなければ自然でもなかったわけである。ただ、いまでも一部の女子がそうであるように、「キモい」という拒否反応があったかというと、実はそういうわけでもなかった。つまり、「おたく=キモい」という偏見すら成立しないくらいマイナーだったのだ。その手の代表である岡田斗司夫とか宅八郎なんていう人々が「おたく」のイメージとして定着するよりも前の時代というわけである。
「マクロス」と言えば、いまや歌い手が戦場に登場するという設定が定番となっているが、もともとは「超時空シリーズ」の一つであって、二作目の「オーガス」や三作目の「サザンクロス」に、いわゆる「歌姫」は登場しない。そして、僕はこれら二作目や三作目などに共通する、或る種の殺伐とした世界観の描き方にこそ魅力を感じていたので、本来のシリーズが続かなくなり、歌姫路線の出発点としてだけ「マクロス」が語られているのが、いささか残念ではある。
これらの三作品に共通するのは、いま述べた殺伐とした世界観もあるが、これらの作品が「超時空シリーズ」と呼ばれているように、時間や空間のスケール感をもつことで、初めてストーリや時代設定や世界観を適切に理解できるのだろうというくらいのつもりで、中学生の当時は眺めていた。なので、「マクロス」ではとりわけ大戦争を経て荒廃した地球での狭い人間関係にスポットを当てているが(もちろんストーリーが優先なので、そこに注目せざるをえない)、他の多くの人々の生活についてもストーリーを組み立てることができただろうし、そういう着想の二次創作や続編の原作小説などがあるのかと思っていたけれど、そういう作品をつくる人は殆どいなかった。これも残念だ。
そして、当時を知る方はご承知のように、その代わりに大流行していたのは「歌姫」であり、精巧なギミックのバルキリーだ。もちろん、僕もバルキリーは持っていたし、飯島真理さんのアルバムも持っていた。特に、彼女は僕の母方の従姉と同姓同名であったから、小学生の頃に母方の実家へ夏休みに訪れていた頃の記憶なども手伝って、何か馴染み深い印象が残っていたのを覚えている。
アニメの「歌姫」として有名になったあと、役の印象から脱却したいという理由からか、飯島さんはすぐに渡米して活動拠点をアメリカに移したようだ。そして、10年以上は前だったと思うのだが、その頃も「歌姫」が登場するマクロスのシリーズが続いていたので、僕は久しぶりに彼女の曲、しかも渡米した後に発表された飯島さんの曲を初めて聴いてみたのだった・・・しかし、デビューの当時は高い声で発声していたらしいのだが、それにしても声が著しく低くなっていたことに驚いた。それだけではなく、もともと声量が大きい歌手ではなかったけれど、更に声量が落ちているのに加えて、そもそも音程がぜんぜん取れてない。まるでカラオケで無理やり歌ってるオバサンのようだった。これは、荒廃した地球でドサ周りするような境遇となったミンメイどころではないなという、それはそれで想像できたことだが、軽い哀愁のようなものを感じた覚えがある。