2018年10月19日に初出の投稿

Last modified: 2018-10-19

Twitter のアカウントを運用しているときに感じることは幾つかあったのだが、フォローしてきた人のプロフィールを確認して気づくのは、RT しかしない人というのがいるんだよね。RT しかしない人って、それ自体の取捨選択によほど希少価値や一貫していてなおかつ exhaustive に選択されている(関連情報に偏りや取りこぼしがない)という価値があるならともかく、そんな人間は殆どいない。はっきり言って、Twitter でわざわざツィートしている人間の取り上げるテーマなんて複数の人々が(十分に理解はしていなくても)言及していることなのだから、知った時点で検索すればもっとたくさんの情報が手に入る。Twitter 上で検索したところで、たいていの話題はクズみたいなものだ。ということは、どういう取捨選択をして RT していようと、その分野に関する情報の紹介方法としては(そもそも RT だけという時点で、まず誰かが先にツイートした範囲で取捨選択しているにすぎないわけだし)ほぼ疑いなく色々なことが欠けていると思っていい。

要するに、RT だけしているようなアカウントなど情報源としてフォローする価値などないのである。やはり価値があるのは、他のツイートや RT には替えようがない、その人自身の意見だけである。あからさまに書くとバカと取り巻きのクズどもが騒ぎ出すとか、プロフィールに幼女のアニメ絵とかアイドルの写真を使ってる類の(左右やイデオロギーに関係なく)面倒臭そうな連中にフォローされて迷惑だというなら、フォローだけしていただいてもいい。RT しかしていない人が、いかに何かの専門家だからといってフォローしてもらえるなどと傲慢なことを思い込まないでもらえば、それでよかろう。だいたいが、たかだか何かの凡庸な専門家ていどのくせに、RT のシーケンスの行間に暗示されているようなニュアンスだとか含意や皮肉を他人にわざわざ想像させる手間を要求できるほどの偉大な思想家か何かなのか。人がそんなことをするのは、親しい相手に対してだろう。

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