Scribble at 2022-01-26 12:56:01 Last modified: 2022-01-26 14:52:14

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この通行方法は、交差点を直進する自転車が、一旦、左折する様にして自転車横断帯に入るため、不自然かつ不合理であり、場合によっては、左折しようとする自動車と交錯するなどの危険な状況が生じていることから、現在設置している自転車横断帯の撤去を進めています。

自転車横断帯の撤去

このところ、横断歩道から自転車専用レーンが撤去されているのをご存じだろうか。兵庫県のページでは、本来なら自転車を押して歩行して横断歩道を渡るはずが、自転車レーンへ左折したままレーンを走行しようとする者が多くて事故になるため、撤去するとしている。

しかし、本来の道路交通法の理屈から言えば、もともと〈自転車は車と同じ車両である〉のだから、横断歩道を押して渡ろうと乗って走行しようと本来はダメなのである。運転していないからといって、オートバイや軽自動車を押して横断歩道を渡れるか、考えてもみればいい。よって、横断歩道に自転車の専用レーンを用意するということは、行政が率先して違法行為を助長してきたようなものなのだ。レーンが引いてあれば、法律でそこを通れと決まっているかのように錯覚してしまうのは仕方がない。

母親が亡くなった2018年ごろから、当サイトでは「歩行論」として歩行や通行に関する色々な話題を取り上げてきたが、新型コロナウイルス感染症が広まってきた数年のあいだ、外出する機会が減ったという事情もあって、この手の話題は書いてこなかった。また、それだけではない他の理由もあって書かなくなった。それは、しょせん凡人の思考や行動を社会科学的に有意なスケールでみて劇的に改善したり向上させることなど、人類の歴史を顧みれば非常に難しいか、何らかの「原理的な」理由で言えば不可能ではないかと思えなくもない。そうであれば、僕らが個人としてやれるのは凡人の啓発ではなく、凡人として思いつく限りでの自主的な防衛である。念のためだが、僕は「バカ」とは言っていない。部落差別などと同じで、誰もかれもがそういう愚かなふるまいや思考をしてしまうことはある。僕も「凡人」の一人であるからには、誰かにとって迷惑なふるまいをしていることはあろう。よって、他人のふるまいや思考を指摘したり啓発するような記事を書いて何になるのかという気分にもなって、その手の話題を取り上げる意欲がなくなっていたわけである。

もちろん、こうして再び書いたからといって、なんになるのかとも思う。まさか自意識の塊みたいなジャーナリストや「著名人」でもあるまいし、ここで書いたことが社会科学的なスケールで言って誤差ほどの影響も他人に与えないであろうとは思う。それは PHILSCI.INFO で日ごろから罵倒している通俗物書きの哲学プロパーと同じようなものだ。しかし、そういうスケールでの影響は期待などしていないものの、少なくとも僕と似たようなことを考えている人が検索したり、どこかで見つけたときに、何かの参考になればいいのだろう。ただし、あまたあるブログと同じように、そういうことを言い訳にしてクズみたいな内容の記事を放置していいわけがない、というていどの気持ちでは書いている。

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