Scribble at 2023-06-10 09:39:57 Last modified: unmodified

昨日は久しぶりに連れ合いとジュンク堂で色々な棚を物色して帰ってきた。眺めていた棚の分野とか、置かれていた本について感じたことを幾つか書き留めておく。

数日前に髭剃りの姿勢を考察しつつトルクの概念を使った議論を展開しているという話をして、実は物理学の多くの本がトルクについて間違った印象を与えるような未熟な説明(説明不足も含めて)をしていると書いた。機械工学や材料力学の棚で剛体の回転を扱っている本を眺めていても、意外とトルクを有効に使って議論している本は少なくて、物理学の概念を紹介するだけの「お得情報」みたいな扱いしかしていないため、かなり不満が大きい。更に言っておくと、トルクの定義において、回転軸と作用線とがつくる平面に垂直なベクトルを「トルクの向き」と設定する場合に、そういう設定をする理由があまり書かれていない。もちろん、物理のプロパーは分かっていると思うが、その理由は回転軸と作用線とがつくる平面に対して「線形独立」な軸を設定すれば、回転軸の長さと作用線では計算できない独立した尺度を一つの概念で一緒に扱えるからなのだ。そして、右ネジの入っていく向きを一致させたら、逆の向きに捩ると逆にネジが進むという物理現象にも一致して扱いやすくなるというだけのことである。これはあくまでも便宜や利便性という事情であって、トルクがどちらかの向きに定義されているということに物理的な必然性などないのである。なんでこういうことを明解に説明するテキストが殆どないのか(多くの著者が当たり前だからだと思っているなら、それだけ教育者として無能が多いというだけのことでしかないと言いたいね)。

次に、実物を書店で眺めていても下らない本は多いのだけれど、アマゾンはやはりこれを遥かに超えるガラクタがノイズとなっていて、そもそも、まともな本だけを検索でフィルタリングしないといけないという事実そのものが消費者として不愉快である。よって、僕は書店で本を眺める効用というのは失われていないと思う。どれほど AI だ何だと言っていようと、その最先端で勝負しているアマゾンにしてから、自社サービスでクズみたいな本をスクリーニングしたり、出鱈目なメモ帳の自称出版物を排除できないのだから、IT 企業にサービス業なんてできるわけがないのだ。おまえたちは AI で同じ AI の攻撃プログラムやスパム・ロボットの相手でもしてろって話である。

第三に、人事系の棚を眺めていると(実は髭剃りという動作のヒューマン・エラーについて考えるために、生産工程やポカヨケの本がある棚と一緒に労働衛生の棚も眺めていたのだが)、最近は「ダイバーシティ」だの「LGBTQ」だのというフレーズが押し出された新刊が目につくのだけれど、僕には浅薄な印象しか残らない。そもそもにおいて、「男性」や「女性」といった既存の性別を認めたり、メンタルや体の障害や糖尿病などの持病を考慮して業務や待遇や社内規程に反映してこなかったような企業が、いきなりオカマや身体障碍者を採用して何ができるというのか。まったくもって、そんな会社がどれほど社内報や対外的なプロフィールに流行語を並べようと、実際のところは単なる炎上対策でしかあるまい。

四つ目に、新刊として出ていた道路交通法の解説本を眺めながら刑法の棚を物色しているときに思ったことなのだが、例の警察官を二人も射殺したキチガイでわかるように、アメリカどころか日本のような国ですら猟銃の保管や使用に関するリスク対策は甘いと言わざるを得ない。猟銃の免許を持っている人物の肉親として銃が保管されている家屋に出入りできさえすれば、誰でも銃を手に取れる。いっそ、銃の保管場所は免許を所持している当人の自宅ではなく、住んでいる地域の派出所や警察署にしたらどうなのか。だって、アメリカのキチガイとは違って、日本で猟銃を使う人たちは、即座に銃を手に取れないと何か困ることなんてないだろう。誰かに襲われる対抗手段として銃をぶっ放すわけでもないのだから。ならば、準備として銃が保管されているところに出向くという手間をかけても何の問題もない筈である。

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