Scribble at 2024-11-10 11:32:31 Last modified: unmodified
インチキ・メディア企業の記事で頻繁に見かけるのが、「~と~が違う、たった一つの~」みたいな、いわゆる「目から鱗系」と言ってもいいような記事だ。典型的な針小棒大と言ってよく、実は昔から新聞や週刊誌やテレビのワイドショーでもネタとして確保するべく膨大な些事を集めては原稿にしているスタッフがいて、このところ表舞台に出てきたクイズ番組の問題を作るようなスタッフがマス・メディアの「表の職能」だとすると、こういう些事を集めてきて clickbait なタイトルも含めて番組や記事のネタを揃える連中はマス・メディアの「裏の職能」と言って良いだろう。
これまで何度か書いているように、この国では色々な経緯があってメディア・リテラシーというものが殆ど学問としても発達しなかったし、それを学校教育や出版・マスコミが流通させるインセンティブも欠落していた。なぜなら、メディア・リテラシーが普及すると、自分たち新聞社や出版社の人間がたかだか学卒の素人あるいは無知無教養の集団であることが分かってしまうからだ。更に、神保町で働いていた数年の経験だけで言わせてもらえば、出版業界の人間なんて編集やタイポグラフィの素養すらない人間が大半を占めている。したがって、政治家が政治献金を完全に規制する法案を通さないのと同じく、マスコミや出版業界がメディア・リテラシーを社会に提言したり啓発するわけがないのである。
もちろん、学術研究者であってもマス・メディアや出版業界で名を挙げてなんぼの世界で生きている通俗的な人間も多く、とりわけ人文・社会系には大学の学長や政府のなんとか委員となり、岩波書店などから自分の全集を出してもらうことだけを目標に学者をやっているような愚物がたくさんいて、そういう人間が結局は「使い勝手がいい」文化芸人であるため、おのずから資金ぐりも良くなるので学界や大学を支配するようになる。そういう「キャリア・コース」が確立している制度的な高等教育の場においては、メディア・リテラシーを含めて、情報や教育のユーザ側を真に向上させるような施策を馬鹿どもが実行するわけがないのであって、文部科学省が昔から無能な東大学卒の掃き溜めとして知られていることから考えても、自らの無能を国民にさとられるような施策は導入しがたいわけである。
正直なところ、神戸大学時代の後輩がせっせと取り組んでいた「アクティブ・ラーニング」なんてものを文科省と博報堂が躍起になって普及させようとしていたのも、簡単に言えば教える側や情報をコントロールしている側が未熟で無能であることをごまかすための教育手法だとしか思えない。テーマをオープン・クエスチョンにしてしまえば、教師があらゆる論点や必要事項について知っている必要がないからだ。たいていの質問には、例の NHK が大好きな「白熱教室おじさん」みたいにどちらともつかないような返事をすればことたりるし、なんなら達観した人間の見識であるかのように装うこともできる。サンデルみたいな二流の研究者みたいにね。