Scribble at 2025-11-11 16:03:15 Last modified: 2025-11-16 12:31:28

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あらすじ なろうサイトで人気の原作!3,300万PVを誇る原作が、小説・漫画・そしてアニメへ!【鑑定】することしかできない最弱職で不遇職の【鑑定士】アイン。 引用- Wikipedia

作画崩壊、制作限界、医療崩壊「天久鷹央の推理カルテ」レビュー

このアニメ評論のサイトって、前にも紹介したように誤字脱字が凄まじくて、逆に AI が原稿を吐き出したわけではないという皮肉な信頼感があると言えるほどのブログなのだけど、冒頭で作品紹介に引用しているウィキペディアの文章ですら、上で僕が引用したように、ぜんぜん違う作品の紹介文を引用していて、これはちょっと仕事が雑過ぎるように思う。それと、かなり昔の作品を敢えて10年以上も経ってから取り上げているあたりは、いかにもマス受けを狙った後出しジャンケンという印象がある。おおむね作品の評価が固まってから批評すれば、おたくの反感を買わずに済むからだ。さらに新作として旬の話題作を取り上げる場合は、第一話だけの感想に留めていて「期待できる」としか書いていないあたりも、最終的な評価がどうなるかによってはどちらにでも是非の議論を展開できるような保険をかけた記事だという印象を受ける。ウザい全画面の広告や、ページ送りをクリックしようとすると直下の広告が反応するダーク・パターンも多く組み込まれているサイトで、はっきり言ってサイトのデザインは素人かつ醜悪でしかない。ただ、こう書いてはいるものの、内容については興味深く参考になることや勉強になることも多いので、たまに眺めている。

もちろん、「ライター」とか「評論家」と日本で名乗ってる連中の大半が、国文学科を出ていたりマス・コミュニケーション論の学位を持ってたり、あるいは実際に出版社で僕のように編集の仕事をしたわけでもない、日本語と思えるような文字列を読み書きできるていどの学歴や教養や知性があるだけの凡人であることは疑いようがないのだけど、当該のブログは個人のブログとしては最大と自称しているほどアクセス数も多いわけで、このていどの文章力の人物が日本のトップということなのだから、実は日本のアニメ評論に限らず文学・文芸・芸術の評論って、明治時代からこのかた国際的なスケールでは低水準なんじゃないのかという気もする。毎年のように、愚にもつかない作品を直木賞だ芥川賞だと言ってはセールスしてる、過去に受賞したというだけの擦れっ枯らしの作家も多いしな。なので日本の文芸評論というのはアニメや漫画や SF 小説なども含めて、おたくやスノッブの、洒脱ではあるが雑な走り書きを仲間内で褒め合っているだけなんじゃないかというわけだ。

たとえば、このブログの筆者はとにかくアニメを評論する基準として、二言目にはたいてい「作画」と言うわけだけど、アニメーションの評価が必ずしも絵としての美しさとかキャラ描写の一貫性だけでは語れないなんてことは、漫画やゲーム CG についても大昔から議論されてきた鉄板の話題と言っていいし、実際にそういう論争の経緯をとおして、多くの人達が納得してきたり、あるいは議論したことがない人たちが蒸し返したりということを繰り返してきたんだよね。でも、海外では(酒席のつまらない話題としてはともかく)、そういうことはない。少なくとも、アマチュアの評論だろうと学問だろうと、既に退けられた仮説や議論を何の理由もなく繰り返して再び持ち出すというのは、単純に「おまえ、過去にどういう議論や論争があったのか勉強してないだろう」という教養の問題でしかないからだ。コンピュータの界隈でも、どうして「FAQ」というものが出来上がったのかを考えたら、勉強しないやつに手を差し伸べるのは寧ろ社会的には「良くない」ことなのだという共通理解が西洋にはあるからなんだよ。

でも、日本の場合は同じ話の蒸し返しが許容される。なぜかと言えば、文芸や批評といった活動に学歴や「頭の良さ」を持ち込まれると困る人たちがたくさんいたからだ。単純に、大学を出てない人が評論なんてする資格はないと言われたら、日本のおたくの多くは困るわけだよ。でも、何のためにものを考えたり議論するのかという目的や動機に照らせば、そんな甘えは通用しない。アニメやエロ漫画だから高卒や中卒でもツタヤで借りて大量に観たり読んでたら語る資格があるなんてのは、それこそ文芸に対する侮辱と言っていい。馬鹿でも勉強しなくても理解したり評価できると言っているのと同じだからだ。

かつて柴門ふみという漫画家が、漫画を読むにも教養が必要だという主旨の発言をしたときに、いしかわじゅんを始めとして何人かが批判を繰り返していたことがあるけれど、漫画を読むのにおよそ教養は必要ないとか、教養がなくても読めるようにするべきだという理屈は通用しない。そういう理屈こそ、表面的にはインチキ民主主義や左翼みたいに見えるが、実際には「漫画は子供や無学な人が読むもの」というファシズムや偏見を裏書きしているだけにすぎないからだ。作品によっては大学院を出るくらいの素養がなければ理解できないものを作ってもいいわけで、そういう選択なり自由があることこそ、文芸としての可能性を更に広く語るための実例になるだろう。

だが、文章の書き方なんてどうでもいいというのが、この手のアクセスだけは多いサイトでものを書いている偉大なる素人の理屈らしい。しかし、そんなことでは、日本のアニメ評論というのは、たぶんそう遠くないうちにアメリカやフランスに追い越されてしまうだろうと思うね。

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