Scribble at 2022-03-25 14:02:14 Last modified: 2022-03-25 21:36:15

東北の震災があってから暫くすると、地方自治体どころか国までが Twitter を災害時の連絡・広報のツールとして活用するなどという、愚かで、国益どころか国家官僚としての矜持すら感じられない無様なことを最先端のテクノロジーへのナウい対応であるかのように語っていたことがある。ウェブ・アプリケーションやネットワークの技術者、あるいはネット・ベンチャーの部長として言わせてもらえば、こういう発想なり思考がいかに馬鹿げているかは明白である。私企業が本当に公益なんて考えて動いたり、何かに抵抗して踏みとどまるわけがないからだ。そして、それこそが「自由」な社会の証ではないのかとすら思う。企業が国益を斟酌して経営方針や販売計画を変更するなど、自由契約や自由な商業活動を保証している社会では、あってはならぬことである。

たとえば、その Twitter にしろ、あるいは Facebook や他の SNS でもいいが、昔から「投稿を間引きしている」というのは、プロの技術者でなくても多くの人たちが知っていることである。ならば、どこかで大地震や火山の噴火や津波が発生したとして、その速報だとか続報や注意喚起のツイートが何らかのアルゴリズムによって間引きされたら、いったい誰がどう責任を取るのか。日本の官僚や役人なんて責任を取りたくないという動機でしかものを考えてないくせに、自ら詰め腹を切らされるようなサービスに依存するとは、もう知恵や予算など色々な点で手詰まりとなってきて、広報活動の丸投げあるいは自然災害に対する「バンザイ突撃」でもしようというのか。

広報の手段として電話やテレビやインターネットに依存せざるを得ないという事実はわかる。そうでもない限り、国民への広報なんてセスナでビラを撒くかスピーカーを抱えて街中を練り歩くしかなかろう。そこまで〈自力〉でやれとは言わない。インフラを確保したら、あとは国が仕組みを確保したり構築・維持するのが当たり前であろう。ひょっとして、それを国がやったら「大本営発表」というお化けないし観念であるかのように叩かれるという恐怖を肥大化させて、自分で経験してもいないのにトラウマであるかのように避ける心理やタブーがあるのだろうか。つまり、国の対応がまずいことをごまかされてしまい、逆に広報が必要でもないときでも過剰に投稿を流されたり、国民のフォローが集中することで何らかの情報操作に悪用されたりという不安だ。

では私企業が集めたフォロワーに情報操作や広告・宣伝といった悪用を思いつかないという根拠は何なのか。寧ろ私企業の公式アカウントの方が既にアカウントの本来の目的とは違う事情で情報操作や印象操作や広告・宣伝に利用しているではないか。au の SMS なんて、オプトアウトもできずにじゃんじゃんクソみたいなサラ金の宣伝とかキャンペーンの告知をショート・メールで送ってくるわけで、あれこそ何らかの行政措置が必要ではないのか。つまり、やることが全て的外れなのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook