Scribble at 2025-09-04 19:15:18 Last modified: 2025-09-05 07:29:55

添付画像

高田貫太『渡来人とは誰か-――海を行き交う考古学』(ちくま新書、筑摩書房、2025)

今日は出社日であった。最近になって新しく買ったトート・バッグに MacBook やノートを入れていくと、酷く重くてかさばるので、もう出社するときはパソコンでの操作を必要としない作業だけに限定したほうがいいと感じた。なんと言っても16インチの MacBook Pro は 2kg を超えるし、他にも iPad や書籍などをバッグに入れると、どうも肩に吊り下げながらもベルトが切れるんじゃないかと不安になる。これからは、すくなくとも MacBook を会社に持っていくのは止めておこう。そもそも、パソコンを持っていったところで、もう書類や書籍など業務で使う備品や作業環境は自宅で整備しているため、コロナ禍でリモート・ワークを導入した5年前から、会社に行っても殆ど仕事にならないという皮肉なことになっている。

そういうわけで、出社したついでにジュンク堂へ出ていって、ひとまず業務に関係のあるリスク・マネジメントや個人情報法保護マネジメント、それから組織論や会社法といった分野の棚を物色していたりする。もちろん、そんなことを弁解がましくする必要はないわけで、われわれ部門長はそもそも裁量労働なのだから、途中で書店に出ていったり美術館へ行こうと構わないのである。ともあれ、そういう事情でジュンク堂へ行ったときに見つけて、即座に買い求めたのが本書である。

もちろんだが、古墳時代、それも馬の飼育などを伝えた中国や朝鮮の人々の来歴については、東大阪市の山畑古墳群についてサイトを作るという計画があるので、常に書店では関連のある書物を意識のどこかで物色している。そうして、「古墳時代」やら「群集墳」やら「渡来人」やら「馬」といったキーワードを見かけると、ひとまず手にとってみる。とりわけ本書は、僕が関心を持っている古墳時代の前期から後期にかけての話が多いので興味をもったのは言うまでもない。そして、著者のスタンスにも関心をもった。つまり、記録に残るような人々、たとえば「博士」と呼ばれた知識人や官僚だけでなく、工人や馬の飼育係などといった職人だとか、更には奴隷もいたかもしれないが、ともかく名も知られていない人々のもたらした文化や技術や知識での影響を推定しようというアプローチだ。

僕が中学生の頃に settlement archaeology というアプローチに関心をもっていたのも、皇族や豪族の墓の話にばかり熱中している、一部のプロパーの不甲斐なさに腹を立てていたからでもあるが、子供なりに「権力の側ではなく民衆の歴史を知りたい」というような気分があったのだろう。そういう事情もあって、必ずしもリベラルや左翼と言ってよいかどうかは分からないが、「渡来人」というのは、実際にはどういう人々だったのかという関心の持ち方には一定の興味がある。

それから、著者には『海の向こうから見た倭国』(講談社現代新書、2017)という著書もあり、こちらも朝鮮半島との交流を解説している。余談だが、アマゾンには、武田鉄矢の右傾番組に感化されて買ったら内容が違っていたなどと、愚かにも文献史学通を匂わせている人物がいるようだが、どうして本のタイトルに「倭国」という言葉が使われているのかも理解しないで文献史学などとは笑わせる。中学時代に当時の考古学の重鎮から研究者として嘱望されていた人間が素人を相手に指摘するのは、スライムにイオナズンを唱えるようなもので気の毒ではあるが、芸能人のラジオ番組など聴いている暇があったら、少しはその文献史学とやらを最低でも学部レベルで真面目に勉強することだ。

素人の愚かなレビューなどはどうでもいいので、最後に用語の話だけ書いておくと、当時の倭と朝鮮半島とを行き来していた人々(もちろんだが、中国やシベリアといった、もっと南や北での往来もあったろう)を「帰化人」などと呼んでいた時代があったのだが、これは「帰化」つまりは倭に定住し定着するという制度的な意味が強いので、歴史学的に中立でもなければ社会学的に適切でもないので、やはり「渡来人」と呼ぶほうが妥当だろうと思う。もちろん、当時の人々は「渡来」したわけだが、定住したとは限らない。元の国に帰っていった可能性もある。しかし、ともかくやってきたことは事実だろうから、「渡来」という言葉を使う方がよいのだろう(ということなので、実は僕はもっと適当な言葉があると思っているのだ)。ただ、この「渡来人」の「人」という言葉にも、少し違和感があるのは確かだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る