Scribble at 2026-08-30 16:37:24 Last modified: 2026-08-30 16:41:24

これまでに、少なくとも僕が学んだり本を読んできた経験から言って、色々なコンセプトやアプローチが提案されたり提唱されてきたし、その多くはあからさまなエピゴーネンとしか思えない、プロパーを自称するアジアのおサルさん(それでも東大教授だったりするわけだが)が雑誌や新聞の書評欄やウェブのメディアで宣伝を繰り広げてきたわけである。でも、その多くは目新しいオプションを書店の棚や大学の専攻科目に追加しただけであった。それらを体現する書籍が登場し宣伝されているときは、SNS やテレビや雑誌や新聞でセンセーショナルに紹介されたり、何かを期待できると高らかに巨大な目標を掲げては、マスコミの代理人と言うべきお歴々が帯に大袈裟な推薦文を並べたりするものだが、実際には5年から10年も経てば BOOKOFF で投げ売りされることになる。

たとえば、記号論。

たとえば、複雑系経済学(同系のシステム科学も)。

たとえば、概念工学。

たとえば、スモール・ワールド・ネットワーク。

もちろんだが、成果や効用があったとしても表に現れにくい分野とかアプローチはあるから、それらが目立つ成果を上げていないというだけで過小評価するのは良くない。端的に言えば、企業内で活用されたり実装されることが多い OR(オペレーションズ・リサーチ)や経営工学(経営情報工学)などがそうだ。しかし、多くの大企業や上場企業は株価操作の一案として、こういう「ままごと科学」の成果を自ら宣伝する傾向があるし、中小企業にこんなままごとをやる余裕なんてないのだから、本当に隠れた業績があって過小評価されている可能性がある分野というものは非常に少ないと思う。やはり表に成果が表れていないアプローチや分野は、堂々とその価値を問うてよいであろう。

それから、何も新しい分野だけが成果の出ないアプローチや概念だけにまみれているとは限らない。旧来の多くの分野でも、もちろん僕らが携わっている(科学)哲学にも言えることかもしれないが、「だから何なんだよ」と言いたくなるようなことを言っているにすぎない事例というのはたくさんある。

たとえば、人文地理学。

たとえば、社会学全般。

たとえば、宇宙論。

たとえば、芸術学。

たとえば、民俗学。

繰り返すが、僕はこれらの分野とかアプローチに価値がないとは言っていない。あくまでも、業績や成果の積み上げという実務上の明白な効用がないと言っているだけであり、それ自体は特に問題がないというなら、そう説明すればいいわけである。学者のプライベートな趣味や関心で調べているだけであり、それを面白がったり楽しむ人がいれば良いということなら、別に芸術学に癌の治療法を見つけてほしいなどと期待する人はいないし、離婚の危機を宇宙論に解決してほしいと望む人などいない。いや、それどころかほぼ全ての他人が関係ないと思っていても、当人がやりたいと思えばやればいい。僕は、知ること、考えることの本質はそういうことだと思っている。学問なり学術研究というものは、それを制度化・フォーマット化・手続き化したものにすぎず、簡単に言えば外国語の本が読めて論文を書けるていどの凡人でも携われるようにした「凡人専用の規格」が近代の学問であるとすら思っているので、他人にとって意味があろうとなかろうと関係ないのだ。

しかし、それについて何事か効用や価値を問われているときには、それに携わってコミットしている当事者が、少なくとも自分自身にとっての価値を熱心に積極的に説くていどの責任があると思う。大学において税金からの助成を受けたり、他人さまから授業料を集めて教えているのであれば、なおさらだ。

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