Scribble at 2020-04-22 13:38:29 Last modified: 2020-04-22 13:42:03
適当な肩書で資格商法とかやってる暇な主婦が書いてるブログ記事で、「執筆」なんて書かれてると業務中でも笑い出しそうになる。僕は哲学の論文を書いてるときでも、自分がやることに「執筆」なんて言葉は使わない。仰々しいというのが最大の理由だけれど、それに加えて、「~年からブログに記事を執筆。」などという体言止めが、三流コピーライターの放つ異臭と同じ臭いがあるからだ。特に1980年代(というか糸井重里氏が《博報堂文化人》になって)以降、この手の臭い体言止めを使うコピーライターがハエと同じくらい増えて、いまでもどこかに放置された残飯から新しい幼虫が出てくるありさまである。
しかし、それだけはない。たぶん僕がこの手の表現に笑ってしまうのは、「執筆」という言葉の印象として、何か碩学の大先生が《筆や万年筆を手に執って》、厳かに崇高なる文章を書き下すといった、何か漫画的と言っていいようなイメージを持っているからなのだろう。これは僕だけの思い込みなのだろうから、笑ってしまうということについては前段のような正当化をしようとは思わない。なぜなら、まったくもって正しく的確な文章を主婦や中学生が書いてもおかしくはないからだ。ただ、日本語の運用能力やセンスには疑問を覚えるだけである。