Scribble at 2023-04-15 07:58:13 Last modified: 2023-04-15 08:02:01

「~の意味は?」なんてタイトルのコタツ記事は大量に出回っているのだけれど、その大半はライター諸氏の未熟で無知な狭い情報や知識で書かれているため、言葉には分野とか状況に応じて複数の意味やニュアンスがあるということが分からず、却って偏見や狭い一部の意味だけを読者に断定したり押し付ける結果となって、つまりは無知が無知を再生産する悪循環に陥っている。実際のところ、「集合知」だの「シェア」だのと言われている情報の拡散モデルの実態とはこういうものであって、世に出回っているネットワーク理論の通俗本が描く素晴らしい成功の事例は典型的な生存バイアスによって取り出された幸運な結果にすぎない。もちろん、そういう事例が少なくても「ある」というだけで何か効用があると言えなくもないが、そういう人々は失敗によって生じる不利益を過小評価する傾向にあるし、社会科学者の大半なんて成功事例を宣伝して自分の科研費やプロジェクトの予算を集金する場合にはリスクなど無視するものだ。

というわけで、さきほど寝ている間に気づいた一例を挙げておく。"open question" というフレーズは、まず日本人の解説によると、"closed question" との対比だけで「イエス・ノーでは答えられない質問」のことだと言われる。よって、「この絵を観てどう感じますか」とか「あなたが最も信頼できる人は誰ですか」といった質問のことだとしか説明されない。かたや、英語教師を名乗る人々のブログ記事では、"open question" は「未解決の問題」とされていて、"it is an open question whether we should do such a way" などという用例が示される。

しかし、これらのいずれにも該当しない問いもまた "open question" と呼ばれることがある。そして、その理由は簡単であり、"open question" というフレーズではなく、"open" な "question" という意味合いで言うことがあるからだ。この場合は、未解決という言葉に含まれるような、そのうち正しい答えに収斂したり回答が収束していくなんて前提はない。しばしば、こういう "open question" には即座に "it depends" というお決まりの返事が用意されているのをご存じの(ネイティブはもちろん、英語が或る程度できる)人は多いだろう。この種の質問や課題は、それこそ学術研究の問いであったり、埋蔵文化財や古典的な著作について解釈だとか価値という話題が当てはまるだろう。或る古典的な著作物や、或る場所で発掘された遺跡に「どういう意味や価値があるか」は、一概に決められないし、一つの答えに決まるとは限らず、更には原理的に決まるようなことでもないとすら言いうる。したがって、未解決どころか、イメージとしては逆に時代や状況や人によって、そういう問いへの答えがどんどん発散していくような理解でとらえる人もいるだろう。

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