2018年06月07日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-07

再び、ダモアの "Google's Ideological Echo Chamber" 文書を取り上げる論説に手を付けている。彼から翻訳の承諾は出そうにないし、既に訴状の資料にもなっているから、彼の一存では決められないのかもしれない。ということで、全訳を公表するのは諦めたが、一部を引用しつつコメントを加えていくという体裁で主従のバランスを失わなければ著作権法で許容される範囲の用途になるだろうと思うので、いまはコメントとか状況説明とか用語の解説を加えながら記事を書いているところだ。

Wikipedia の "course of events" に詳しく書かれているとおり、ダモアはもちろん社内研修のフィードバックとして「メモ」を書いたのだった。それがメディアへリークされ、最初期は Gizmodo や Motherboard が "publish" してから話が大きくなったのだが、こういう場合の "publish" という言葉には、それなりの自信がうかがえる(本来、既に著者がダモアだと分かっているなら、無断で公表するのは後から訴えられる可能性だってある。それに抗弁できるのは「公共の利益」を優先させるという理屈だけだ)。

ただ、アメリカでも思想と人格とを同列に扱う人や、人種と知性に何らかの相関があると思い込んでいる人はたくさんいて、あのような「人類史の実験場」とも言うべき国家(というか、日本だってそのアメリカを含む旧戦勝国の駆け引きの実験場にすぎないわけだが)では、口先でどういう哲学を語っていようと、特定の思想を憎む人は特定の人物や人種を憎んでしまうし、特定の人種や人物には特定の思想とか知的レベルしかないと思い込んでしまうものなのだろう。よって、PSA(Philosophy of Sciecne Association)の the President が黒人や中国人になるのは何年後か分からないし、分析哲学史の教科書は今後も(男だろうと女だろうと)真っ白のままだろう。とは言え、その理由の一部は単純な人口比だったり、アジアやアフリカ圏の研究者自身の圧倒的な無能でもあるわけだが。いずれにしても、僕がアメリカ南部の白人たちの歴史や黒人奴隷の歴史に興味があるのは、それらとアメリカの「科学哲学」や「分析哲学」なるものが完全に乖離しており、それが逆に興味深いからだ。もちろん、シニカルな意味でだが。

この後半は PHILSCI.INFO に書いた方がいい内容だったな。

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