Scribble at 2026-05-19 12:16:26 Last modified: unmodified
当サイトでは何度も書いている話だが、人は視覚的な表現を何かの特権的な視点なり構図で描かれたり図示されていると思い込みやすい。PHILSCI.INFO を運営していた頃に何度か指摘したように、哲学の通俗的な本に描かれたイラストや図表や漫画によって、初心者の多くはそこに描かれている観点や議論や構図こそが哲学的な概念や論争の正確な描写であり、その「わかりやすい」説明だと思ってしまう。彼ら初心者こそ、哲学的な議論や思索についての初心者なのだから、なおさらだ。出版社や著者は、そういう人々に本を書いているという責任を自覚する必要があるのだけれど、日本の哲学プロパーや物書きの殆どは、そんなものは持ち合わせていない、京大やウィスコンシンなどの大学院を卒業して外国語が読み書きできるだけの凡人である。凡人こそ、自らの凡庸さや無能に自覚がなくても許される「特権」をもっているのだ!
さて、ここでも視覚的な表現にかかわる思い込みや先入観や妄信の一例として、「シグモイド」と呼ばれる形状のグラフになるような関数を取り上げてみよう。これは、"^^\sigma^^"(ギリシア語の「シグマ」の小文字)の形状に似たグラフを描く、^^(-∞, ∞) → (y_1, y_2)^^ という単調増加関数のことだ(^^y = y_1, y = y_2^^ が漸近線となる)。こういうグラフになる実例としては、x 軸を時間軸として y 軸に何かの普及率だとか学習の進度などを当てはめれば、誰もが幾つかの事例を思いつくだろう。たとえば、日本におけるスマートフォンの利用率(普及率)を考えると、普及率がゼロの時点から、数千万くらいの値まで、このようなグラフとして描けるような推移となるはずだ。ただ、何年が経過しても普及率が 100 % になることはない。
こういうグラフを使う場合に大切なのは、果たしてシグモイドの形状となるようなグラフであるかどうかを、関数として定まっていない時点で判断することはできないということである。関数とは、定義域の要素と値域の要素とで作られるペアという要素の全体という集合であるから、その集合の要素であるペアを全て列挙するか、あるいは定義域の要素から値域の要素を求める何らかの規則性なり演算が知られていなくてはならない。たとえば、y = 3 という定値関数は、X = 9 のときに y = 3、x = 298.754 のときに y = 3、x = -19823423904 のときに y = 3・・・などと全ての x と y とのペアを列挙しなくてもよく、任意の x においても y = 3 であることが数学的に保証されている。よって、あらかじめ全てのペアを知っていなくても、y = 3 という定値関数ではどういうグラフを描けばいいのかは分かるのだ。
だがシグモイドの場合は、小文字のシグマみたいに見えるというだけでは、或る要素にどんな要素が対応してペアになるかを求めるための、何の根拠や保証にもならない。とりわけ、シグモイドであると言われているような値どうしのペアが少なくて、しかもペアとして分かっている範囲が関数全体の中で大半の領域をカバーしているのか、ほんの一部なのかも分からない場合には、はっきり言えばシグモイドの形状を示すような関数として形式化しうる保証すらないと言わざるをえない。
よって、上の記事で議論されているように、AI の技術的な進展が「そのうち」頭打ちになるという雑感や一般論がどれだけ正しそうに思えても、「そのうち」が1年後なのか10年後なのか、それとも100年後なのかは誰にも分からない。これは僕の持論だが、僕は AI はヒトを真似る必要はないと思っていて、したがって AI (aritificial intelligence) は「人工」の知能であるかもしれないが、ヒトを目指す知能である必要はない。ヒトへの何らかのフィードバックは、ヒトが理解できる範囲に処理内容を最適化する必要があるのは確かだが(いわゆる "ethical AI" とか "accountable AI" というアイデアは、それを人工知能処理の義務にするという発想でもある)、AI がそこまでの段階で行う処理はヒトの神経細胞などのプロセスを形式的にも電気化学的にも真似たり理想にする必要などないのだ。僕らと会話できる相手としてふるまっていても、何を考えているのか分からない(良くも悪くも天才的な)人々がいるものだ。表面的なコミュニケーションの形式や慣行だけが共有されていればいいのであって、それぞれにおいてどのような処理あるいは思惑があるかなんて、はっきり言ってどうでもよいことだ。もちろん、言動という結果の責任を負うべきだが(僕は、前にも書いたことだが、もはや「モヒカン族」ではない)、だからといってまさにものを考えている最中に何が起きているかを他人へ報告する責任なんてないし、それは AI についても同じである。「ブラックボックスはいけない」と言うが、ではヒトの思考はそうでないのか、ということである。
よって、どのような物事の成長や発展や普及も頭打ちになるという一般論を語るのはいいが(そして、そのような一般論はだいたいにおいて語る値打ちがないのだが)、それがいつなのかを決めることはできない。或る物事の推移をグラフにしたらシグモイドになるというのは、一般論として言えるだけのことでしかない。物事の推移の大半を占める期間にわたって情報を手にしているわけでもないなら、そのような推移が飽和に近くなる時点を求めるための演算ができないのであるから、具体的にそんな時点を予測することはできないのだ。