Scribble at 2022-06-17 12:16:08 Last modified: 2022-06-20 00:15:24

"6 ÷ 2 (1+2)" が1なのか9なのかという話題について、僕はすごく単純に9を支持している。別に左から式を評価するというプログラマの発想があるからというだけではなく、これの答えを1だと主張する人々が根拠にする「係数」という概念こそ不要だと思うからだ。"2 (1+2)" は単に "2×(1+2)” という式の略記にすぎない。つまり1だと主張する人たちは、得てして自分たちこそが「数学的センス」の持ち主であるという錯覚のもとに自慢する傾向があるらしいから敢えて言わせてもらうと、ただの習慣を数学的に特別な意味があるかのように思いこむ非論理的な人々であって、数学を語る資格はないと思う。係数なんて、しょせん乗算の記号が省略されてるから〈くっついてて1個の数の表現に見える〉ってだけじゃないか。子供かよ。

実際、この式をプログラミング言語や Mathematica Alpha のようなオンラインの演算サービスに通すと、例外なく9が答えとして戻るはずだ。当たり前である。そして、1を主張する人々は何度も繰り返して、自分たちの都合だけで〈どの塊が一つの数を表すか〉を恣意的に決めている。そもそも、この式が一つの数に対応しているのであって、その一部だけを一つの数と見做すとか、他の一部は数ではなく式と演算子であるとか、そんなことを恣意的に決めてよいわけがない。

すると最後に残るのは、数式を左から評価するべきか、それとも任意の順番で評価してもいいのかという問いである。1を主張する人々は、別に「右から」評価せよなどと言っているわけではなく、簡単に言えば乗算と除算の組み合わせ("x ÷ y × z" など)や加算と減算の組み合わせ("x - y + z" など)の順番は任意でもよいと言っているに等しい。この双方を比べると、もちろん〈論理的に〉考えるなら、任意の順番で計算してよいとなると、無数の式が複数の答えをもつことになる。"3 - 2 + 1" の答えが2だったり0だったりするし、"8 ÷ 4 × 2" の答えが4だったり1だったりするというわけである。したがって、この手の計算をする場合には、ありえる複数の答え(項が増えたら答えの数も増える)に応じて計算結果を利用して理屈を展開していく必要があり、そしてさらに困ったことに、1行目で "8 ÷ 4 × 2" を4として議論しながら数行ほど後で "8 ÷ 4 × 2" を1として議論してもよいという話になってしまう。すると、もうこれは数学ではないばかりか、人の知性的な考察とも言えないだろう。

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