Scribble at 2008-01-24 02:37:54 Last modified: 2022-12-28 15:28:35
いまのところ、生物の運動として見た「歩行」や、道路交通法から見た歩行のルールやマナー、あるいは歩いているときに思うことなど、色々と雑感や調査したことなどを書き続けていく予定です。体系立ったものは特にないので、「学」とは言っても一つの方法をもつわけではなく、飽くまでもテーマとして「歩行」を取り上げたいという所信表明みたいなものですね。そこで例によって検索してみると、ロボティクスのような話題から更科そばみたいな名前の人がやってる健康法の話題まで、予想はしていましたが多様な切り口があります。それから生得段階でハンディキャップのある人や、事故などで負傷した人のリハビリにも「歩行学」というテーマが現れます。また現代において歩行とはすなわち靴を履いての運動に他ならないので、シューズメーカーの技術にも関わりがあるでしょう。「靴学」というのもあるらしいです。しかし検索してみても、通行者としての倫理を「歩行学」というテーマで語っている方はいないと見受けるので、少しは新たに付け加えられる知見があるかもしれません。まとまってきたら単独のページにします。それまでは、記事として少しずつ取り上げて行きます。さて初回は、そもそもなんで「歩く」ということを敢えて取り上げようと思ったかを説明します。僕は小学生の頃から電車で通学しているため、電車での通学・通勤歴がこの歳で30年を越えてしまいました。恐らく何か一つのことを30年も続けていれば、何かいっぱい書くネタがあるだろうと(笑、いうのが一つのきっかけです。しかし、30年続けてきたからといって、それについて何事かを断言する権威があるとは思っていません。次に、冒頭からうすうす気づいている人もいると思いますが、倫理とかマナーについてあまり書かれていないと指摘している点からお分かりのように、多くの人は歩行のマナーが悪い。僕も他人から見れば、或る点でマナーが悪いかもしれません。あるいは良い悪いと言うよりも、公の場で行う歩行という行為が、とりもなおさず一つの所作であると自覚していないと言えるかもしれません。もちろん、そうではないと反論することも可能でしょう。ですから、ここではひとまず、あからさまに「歩行学」と述べてみて、文学で言うところの異化のような効果を引き出してみたいと思うのです。他にも色々きっかけはあります。今日も、四つ橋線の本町という駅で中央線から四つ橋線に乗り換えようと歩いていたのですが、どうも僕が速く歩いているせいか、東京であれ大阪であれ、どうしてみんなこんなにちんたら歩いているのかと思ってしまうのです。恐らく、昨年話題になった『渋滞学』でも言われていたように、はじめてそこを歩くので戸惑っている人がいたり(どちらに進むのか歩き方が怪しいので、周りは避けようとして余計なスペースが空く)、あるいは3人分の幅がある通路を微妙な位置で歩きながら塞いでいる人がいたり、観察している限り原因は色々あります。もちろん、単にだらしのない人が前にいたり、歩くのが遅いくせに人よりも前に並びたがる年配者とかいますよね。そうした人々も渋滞を引き起こしている原因なのでしょう。とは言え、特に非難しようという意図はありません。また、全く別の切り口になりますが、僕は通勤しているときに色々と歩き方を工夫するように心がけています。たとえば、出勤時は眠気が残っていて少々猫背になっているため、暫く歩いて調子を整えたら、わざわざ背筋を伸ばして姿勢良く歩いています。大袈裟に言えばモデル風というか(笑、エレガントに歩くようにするわけです。実感として、それだけでも体調が変わるような気もするし、仕事を始めるに当たってどこかしら鼓舞するものも感じます。しかし他方で、そのような堂々とした歩き方をしている他人を見ると、たいていは傲慢というか、俺は体格がいいぜヘイヘイ~みたいな連中も多く、呆れてしまいます。たぶん、アスリートなんとかという、ジョギングをしている人が対向の歩行者を避けさせて平気でいられるようになるという特異な心理状態と同じなのでしょう。そういった、歩行時の心理についても興味がありました。といったことで、歩行や通行について考えさせられたり語りたいことは色々とあります。