Scribble at 2022-12-01 00:22:00 Last modified: 2022-12-01 00:27:02

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ここ数年のあいだに、新型コロナウイルス感染症の蔓延という状況も手伝っているとは思うが、OOH(屋外広告)の欠落が目立つ。会社の周辺でも、ビルの屋上に設置された看板で出稿を募集する広告という、皮肉な意味で別の広告ばかりが目立っている。もちろん、広告を眺める人の数が減っていて、どう考えても効果が落ちているのだろう。しかし、それだけではないと思う。ビルの屋上なんて誰が見上げるのか。いや、周辺のビルで同じていどの高さにあるフロアからでも、外の看板どころか窓の外を眺める勤め人なんて、そもそも昔からそんなにいたんだろうかと思わざるを得ない。

僕は広告という仕事は世の中に必要とされているし、しかるべき仕事には十分な効果も価値もあると思っていて、多くの人々が簡単に言うほど広告の仕事は下賤でもないし、他人を上っ面の印象だけで錯覚させるインチキというわけでもない。しかし、十分な効果があるのかどうか、実際のところ検証もしていない手法をむやみに繰り返している事例はたくさんあって、僕は広告や宣伝や広報や PR に関連する学術研究というものは、教育学と変わらないくらいの未熟な段階にあると思っている。

これらの分野が未熟である理由は、実は研究対象の情報という点で言えばはっきりしている。教育学も広告や宣伝の研究も、研究や調査の対象にプライバシーや企業機密がかかわるため、はっきり言えば第三者が検証可能な生の具体的なデータとして公開できないからである。しかも広告や宣伝は、広告代理店や制作実務に関わる業界の評価にも直結するので、「OOH には、実は最初から殆ど広告としての宣伝効果がない」などと言えば、そういうものに何十年と出稿しているであろう多くの企業にとっては、或る意味では詐欺に陥れられたような印象しか残らないだろう。

でも、僕はそれは間違っていると思う。広告や宣伝を広告代理店だけに丸投げする方が、企業の姿勢としてもともとおかしいからである。それは、要するに営業マンを雇うことなく経営者や工員が商品を手にして売り歩こうとするようなものだ。しかし、経営者や工員にそんな時間もなければ技能もない。よって、皆さんにも記憶があると思うのだけれど、田舎駅の掲示板や柱に、印刷されている内容が日焼けで殆ど判読できないような広告が延々と貼り付けられていたりする。それでも、そういう掲示個所を特定の企業の広告が占有しているのは事実であるから、僅かでも一定の広告出稿料が鉄道系の広告代理店に支払われている。たぶん出稿している企業の側であろうと、コストが少なすぎて経理担当者くらいしか認識していないだろう。もちろん、そんなものに広告宣伝の効果などない。ゼロと言っていい。しかし、確実にいくらかのお金は支払われている。こんなバカげたことを、たぶん日本中の田舎で大小の企業が何十年と続けているのである。誰が広告代理店や広告という仕事を簡単に馬鹿にできるものか。

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