Scribble at 2026-10-30 10:20:31 Last modified: 2026-10-30 13:32:32
論説でも何度か強調しているように、僕は『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』という作品を、必ずしもラヴ・ストーリーとしては読んでいないし、そういう展開を期待してもいない。作者が描きたいように描けばいいし、なるようにしかならないと思っている。そして、そもそも僕がこの作品に執心するようになったのは、これが恋愛モノだったからでもなければ、恋愛モノになりそうだと思ったからでもない。
そういうわけなので、僕はこの作品を読んでいて、第9巻までのあいだに佐々木が何度か口にしているフレーズ、中でも「世界中が敵に回っても俺は君を守る」的な、あるいは「君のためなら何度でも死ねる」的な、要するに国文学を専攻したとはとても思えないほどの中二病的なフレーズを、息を吐くように口にする(そして、山田にキザと言われることもある)のが、かなり痛々しい。いかに人物設定だとは言っても、いまどきないよなぁと思う。まるで周回遅れのトレンディー・ドラマの脚本だ。ああしたフレーズで、どうも興醒めしてしまう。実際、こういうフレーズをラーメン屋で聞かされた西園(少女漫画家)は、ひとまず感心した表情を見せてはいるけれど、なんだか「やれやれ」という態度にも見える。
なんにせよ、僕が参照している第4巻くらいまでのストーリーなんて、実際に『月刊ビッグガンガン』に連載されていたのは3年くらい前だから、何か書いたり論じようという意欲さえあれば、とっくの昔に誰かがそれなりの分量で批評を書いていても不思議ではなかったはずだ。それが、いつまで経っても「ネタバレ」だの「あらすじ」だのという SEO 目的のゴミばかり増えて、まともな論評が全く増えず、したり顔で恋愛や漫画の技法をぶつくさと SNS や5ちゃんねるで喋ってるような人しかいないというのが、この国の漫画批評やアニメ評論の姿だ。これでは、いくら短大や芸大で小手先の話を続けていようと、アニメーションや漫画がまともな研究分野になるのは、数百年ほど先の話になるだろう。そして、その頃にはアニメも漫画も衰退して過去の文化的遺物となり、「マンガ学」とはすなわち文化的な考古学の一部になってしまうかもしれない。