Scribble at 2026-08-03 17:24:35 Last modified: unmodified
直にポイントされているのは "Note-Taking and Personal Knowledge Management" というブログ記事なのだが、そのブログ記事で話題となっているブレナン・ケネス・ブラウンの "What have note-taking PKMs accomplished, really?" というブログ記事も興味深いので、両方を参照している Hacker News のスレッドへリンクしておく。
日本では殆ど普及していないが、野中郁次郎氏の著作や『学習する組織』などでわずかに話題となっている knowledge manegement というコンセプトがある。おおよそ半世紀くらい前のエキスパート・システムなども関連して展開してきており、いまでこそ AI や BI などによって着目されるようになった経営管理の工学的研究分野の一部なのだが、同じくらい古いオペレーショナル・リサーチなどの形式的な手法が一部の大企業にしか定着しなかったのと同じく、しょせんは潤沢な予算と小飼いの SIer や事務屋をもつ大企業や上場企業の情シスや経営管理部門の空論あるいは官僚的な「予算の使い切り手法」としてしか導入されてこなかった。それが、ここ最近になってクラウドのオンライン・サービスとして展開されるようになり、再び着目されているらしい。
だが、このようなものは、やはりどう考えても財務状況として余裕がある大企業や上場企業の話でしかないという印象はぬぐえないし、現に中小企業でこうした経営学者の玩具と言ってよいコンセプトを自社に導入する事例は少ない。なんと言っても、その最も強い理由は、中小企業というものは短期間のキャッシュ・フローの余裕しかないので(だいたい平均すると3ヵ月から6ヵ月ていどの資金の余裕しかない)、数回の採用活動あるいは投資に失敗すれば財務的なインパクトが深刻な状況へ陥る可能性もあるからだ。生半可な予想や期待だけで、いたずらに「本に書いてあるていどの管理手法」を自社に応用するなんて遊びごとに時間やお金をかけるわけにはいかないのである。そして、たいていのまともな企業経営者というのは、経営本や経営学の本が夥しい分量の結果論や生存バイアスによって埋め尽くされていることを知っているので、寧ろ knowledge management の成功事例などいくら紹介されても信用はしないであろう。古くから言われているように、起業や経営が成功する原因なんてわからないが、起業や経営が失敗する原因は分かっている筈なのだ。でも、世の中に流通している情報の大半は、成功した者だけが本を出版したりブログ記事で宣伝したりできるのだから、成功事例ばかりである。でも、そんなことはたいてい偶然や、当人が気づいていない有利な条件によって起きていることが多いのである。
よって、まずブレナンのブログ記事で議論されているように、knowledge management なんて本当に意味があるのかという疑問が出てくるのは当然だろうと思う。こんなことはトヨタの系列やキーエンスといった余裕のある会社で暇を持て余した経営管理部門の老人たちが理屈を弄んでおればよい空論であって、こんなことに中小企業がコミットする余裕なんてないと思うのも無理はない。実際、『学習する組織』に至っては解説のマンガまで出版されているようだが、実際にこれを読んで経営手法を整えたり改善した話なんて、たとえ PR 目的の文章ですら見聞きしたことなど一度もない。
ということで、ブレナンの記事を追ってゆくと、Obsidian や Zettelkasten などの PKM(Personal Knowledge Management)ツールは知的生産性を高めると宣伝され語られているが、実際に従業員の事業や業務に対する理解度や改善のためのアイデアを増やした証拠はあるのだろうかと問うている。そして、その疑問を四つの問いとして吟味している。
まず第一に、PKM は重要な知的貢献を生み出すのだろうか。認知科学の研究では、洞察というものはリンクされたノートを読むことよりもインキュベーション(問題から離れる時間)が重要だとされる。よって、PKM が主張する「ネットワーク構造が洞察を生む」という仮説は、科学的には支持されていない。第二に、実際に重要な研究者やコミュニケーターは PKM ツールやサービスを使っているのだろうか。ブレナンが調べた結論としては、「ノート術を語る人ほど、ノートを使って何かを生み出していない」と言われていたり、PKM 界隈の実際のアウトプットは、速読や「聴くだけで英語が上達する」といったインチキと同じk、PKM という手法そのものについての解説が大半であり PKM を活用した成果ではない。学術研究者はブランド化された PKM ではなく自分専用の即興的な方法を使っていることが多く、他人が考案したツールやサービスなどに依存するのは寧ろ「負け」だと思っている人もいる。そして第三に、実際に本や論文を書く人のプロセスはどうなっているかというと、プロジェクトごとにカードや資料を作り、終われば捨てる使い捨て型のシステムを使っている。PKM が掲げる「永続的で、横断的で、consecutive つまり蓄積して一生使える知識体系」などという理想とは真逆であることが多いという。また、情報を保存するだけで成果を出した気になってしまう心理的バイアスによって、成果としての知識が累積するのではなく、活用されていないデータが積みあがるだけの「積読」と同じでしかなくなっているという。それから第四に、PKM に専念している人のアウトプットはどうなのかというと、最も明確に観測できる成果は、第二の問いでも述べたように、PKM そのものに関する記事・講座・本であって、要するに PKM 産業はマッチ・ポンプでしかない。そして、ブレナンが観察しているところでは、ここ最近の生成 AI の誤用・濫用が PKM をさらに歪めているという。つまり、PKM サービスやアプリが生成 AI と統合され、「AI が整理してくれるから人間は考えなくていい」という風潮が出てきているらしい。この結果、PKM がアウトプットを増やすという証拠は見つからなかったといい、実際に PKM ツールやサービスのユーザに話を訊いても、「成果が増えた」というより、「不安が減った」とか「頭が整理された」という意見が多かったという。つまりは、会社のため、事業のために、何か新しい取り組みに携わっている僕たちという、「できるビジネス・パースンのコスプレ」だとか、貢献という自意識、あるいは美学のために knowledge management のツールや手法を導入しているということらしい。
次に、ブレナンの記事を批判しているのが "Note-Taking and Personal Knowledge Management" という記事を書いたジョージだ。ジョージがブレナンの議論を批判している理由は、ブレナンの調査に不備があるとか、議論に過ちがあるといったことなのだが、そもそも PKM は組織ではなく個人的な営みであって、一般化した評価を下すことは難しいという点にある。
まずここで言っておきたいのは、僕はそうは思わないということだ。確かに、ここで話題になっているのは "personal" knowledge management であるから、個人が使うツールやサービスとしての評価に限定するという事情は分かるのだが、個人としてこういうツールが必要な一般人なんてそうはいない。やはりどう考えても仕事に使っているわけであって、僕に言わせれば他の人と knowledge を共有したり継承する役に立てないなら、それは本来の knowledge management ではないだろうと思う。つまり、"personal" な knowledge management という表現は語義矛盾というのが言い過ぎでも、自己反駁的な議論を導く恐れがあると思う。だからこそ、個人によって意義が異なるというヌルい議論が出てくるのであって、それだけであれば knowledge management の是非や効用を議論したところで、しょせんは bike-shedding でしかあるまい。
ただ、ジョージがブレナンを批判する個々の論点は、確かに正しいと思うこともある。たとえば、そもそもツールの利用状況などによって有効性を評価するべきではなく、そこから何をもたらしたかで評価しなくてはいけないということだ。なので、ジョージによる「ツールは貢献しない。人が貢献する」という反論には賛成だ。
次に、さきほど示したブレナンの四つの疑問には、PKM とあまり関係のない論点もあるし、必ずしも PKM の効用を評価するに十分なだけの証拠があるとは思えないような議論も含まれていて、的外れな批評になっているという。ただ、僕は彼らとは違って日本の「出版状況」を見ていて、ジュンク堂のような大型書店でのビジネス書の出版状況には、それなりに目を光らせている自信がある。そのうえで、knowledge management や『学習する組織』といったコンセプトや著作物が一定のトレンドを牽引しているかと言えば、とてもそうとは見えないと言わざるをえない。もちろん、勉強だの学習だのという話題を扱っている本は多く出版されていて、特にロートル会社員や子育てを終えた主婦を対象にしたリスキリングの本だとか、新卒向けの本は一定の数がある。でも、これは knowledge management とは関係がない。それこそ凡人やガキは勉強しろというだけの話であって、マネジメントではないからだ。それに対して、経営手法としての、personal であろうとなかろうと knowledge management を扱った類書は殆どない。続々と増えているのは、『学習する組織』の解説本や、野中氏という重鎮に対する提灯持ちどもが書いた内輪褒めの本ばかりだ。