Scribble at 2026-08-23 08:48:11 Last modified: 2026-08-23 13:06:11
この記事の著者は、AI が生成した文章に対して脳が自動的に「意味のないノイズ」として反応し、内容を読めなくなる現象、“AI-blindness” を自覚し始めていると告白している。それは、送られてきた文書を読んでも AI の吐き出した文章であることが分かると内容が頭に入らず、既に書かれていることを再度質問してしまうという。AI が生成する文章にどういう特徴があると思っているのかというと、著者によれば、Claude が多用する語彙や分析パターンがそのまま混ざった設計ドキュメントだとか、マーケティング戦略と技術的な語彙を組み合わせた意味不明な文章、あるいは単純な要件を過剰に冗長に説明し、自信のない独白のような文体になっている文章が AI に特有らしい。
文学賞の選考委員が生成 AI で作成された投稿作品を見抜けなかったといった話題が紹介されて、だんだん人は AI の作った文章を人が AI を使わずに書いた文章と見分けられなくなってきているという。僕は、このこと自体は本当だと思う。なぜなら、世の中の圧倒的多数は凡人であり、凡人というのは見識や情報量においてだいたい同じレベルと分量しかもっていないし、学識や知性を向上させようという意欲やインセンティブがないから、新聞やテレビ番組やネットの有名人や新書などに書かれている意見とか考え方にたやすく感化されるからだ。これは、要するにウェブ・コンテンツをスクレイピングして学習している生成 AI の開発と殆ど同じようなことなのだ。したがって、凡人の文章が生成 AI の文章に似通っているのは当然のことである。そして、文学作品だろうとプログラムだろうと学術論文だろうと、凡人ではないにしても、それなりのレベルしかない人々が手掛けている限り例外ではないのだ。
よって、「人間は AI の文書を見抜けない」とされるが著者は反対しており、僕も同感だ。そして、著者と同じく、僕も3年以上にわたって Gemini を毎日のように使っていて、(1) 過剰に大袈裟な表現を使ったり、(2) 与えた脈絡や文章の中でポイントになっていれば、どれほど些末な事柄でも重大事のように過大評価したり、(3) 文の流れや調子が均質で意味の密度が低く、論証の妥当性に固執しているだけの文章に見えるという特徴を僕も実感している。なので、実はこの落書きでも著者のブログ記事を要約した Gemini の文章を利用しているのだけれど、殆どの文を僕が後から書き換えたり書き足しており、恐らく原型をとどめていない(特に、「ほとんど」を常に平仮名で表記するから頭にくるんだよね)。
こういう経緯があって、著者は AI スロップだと思われる文書を自動でフィルタリングするようになり、AI 的な文体を検出すると自動的に無視するようになったという。そして、これはウェブサイトへアクセスするとトップ・ページの最上部半分を自動的に無意味な広告やヘッダー画像やタグラインだと断定して無視する現象に似ているという。もちろん、これはこれで自然ななりゆきなのであろうが、かといって「AI 的である」というだけで文章を闇雲に無視するようなことになると、本当に誰かが書いた文章までスルーしてしまうことになる。そして、著者もそのリスクが分かっているからこそ、本当は意味のある重要な文章ではないのかと、振り返る必要や不安を感じることとなり、無用な認知的負荷がかかったり、仕事の効率が下がるという問題に警鐘を鳴らしている。つまり、AI を導入することで仕事の効率が逆に落ちるという、これまでにも指摘されてきた生産性のパラドクスだ。