Scribble at 2024-09-23 08:36:22 Last modified: unmodified
不思議なことに、今の義務教育では、勉強すべき内容は教わりますが、「どうしたら科学的根拠に基づく効果の高い勉強ができるのか」という勉強法そのものは、あまり教えてくれません。そのため、多くの学生が効果的ではない勉強法を知らずに実践してしまっているのだと思います。
以前も書いたことだが、いま「スタンフォード大学式のノート」などと宣伝されている、罫線の引き方を工夫したノートなんてものは、僕らが小学生の頃には既に進学校の小学生ですら話題にして実行していたことなのである。実際、ノートの取り方や勉強法などが青春出版社の新書などで解説されていて、僕もそうした本を何冊か参考にして、ノートの紙面を幾つかのブロックに区画して、中央の欄に授業の内容、右の狭い欄に重要度を表す記号、左の欄に注釈や辞書の説明、そして下の欄に他の本を読んで補足した内容を書いたりした。こうしたノートは、何人かが作っていたけれど、当時から字も上手く書けるようになったという事情も加わって、僕のノートはそれなりに好評を博していた。ただし、数年後に医大や東大に入るような同級生は、その頃から雑なノートだけで気にしないようなのもたくさんいた。というか、ノートすらとらないような同級生もいたので、もちろんこういう「よいノートをとる」ことが最善だとは限らないし、スタンダードである保証すらないわけである。それは、大阪でも有数の進学校に通っていた僕自身の経験からも言える(僕の母校は卒業生の半分くらいが、どれほど偏差値が高くても地方の医大へ進学したりするので、必ずしもマスコミ的な「東大・京大の合格者」という意味での進学校ではない)。
ともあれ、この記事は『プレジデント・オンライン』の中では珍しく大半の内容に同意できる。特に、上で引用したように、学校というところは教師が文科省の学習要領に沿って事項を解説するだけであって、「どう勉強すればいいか」は殆ど教えてくれない。ノートの取り方や予復習の仕方すら知らずに高校を卒業する人が圧倒的に多いのだ。こういうわけで、大人になってからでも資格試験の勉強や英語の勉強などを大半の人が自己流で出鱈目にやっていて、しかも困ったことにそれを自分の子供に適当に教えたりするものだから、或る意味では「非効率な勉強・学習の文化的遺伝子」が受け継がれてしまうわけである。著者の本を買って読めとまでは言わないが、こういう事実をしっかり知っておくことから初めて、勉強なり知識というものに謙虚な姿勢をもつべきだろう。学校、いやそれどころか東大を出ているていどのことで、勉強の最適な方法が身についている保証はないのだ(東大出身者の多くは、馬鹿げた方法でも力ずくでなんとかなる才能をもっている人は多いので、実は彼らのように生まれながらの才能だけで東大に入ったような人々の「勉強法」とか、親の「育て方」のような本を読んでも、多くの人は参考にならないし、たいていの凡人にとっては逆効果な方法であることが多い)。
この記事で指摘されていることは、僕も実感がある。第一に、教師が黒板に書いた内容をデスクトップ画面のハード・コピーのように書き写す「板書」には意味がない。まず、教師が黒板に文章を書いているとは限らないのだから、そんな細切れのキーワードを並べたようなことを書き写すだけでは、後から活用のしようがない。そんなものをどれほど丁寧に写したところで、それは全くの自己満足である。
第二に、教科書やノートに蛍光マーカーで下線を引く人は昔から非常に多いのだが、これは僕に言わせれば文具業界のマーケティングに騙されているだけである。こんなことに何の効果もないことは、既に著者を初めとして多くの実験成果が報告されている。もちろん、文具メーカーに悪意と言えるほどの魂胆はないと思うが、何の証拠もないことを半世紀以上に渡って(少なくとも僕が小学生の頃から蛍光マーカーは発売されていたのだから)続けてきた責任は、それなりに重いと思う。恐らくだが、こういう蛍光マーカーは小売店のポップで商品名や値段を強調するために使われたとうい事情があったので、強調したいところを目立たせるように使うのがよいという発想へと流れていき、教育用具として宣伝する会社が出てきたのではないかと思う。このあたりは、AV 女優のケツを追いかけたり日雇い労働者の職場に入り浸るしか能が無い日本の社会学者が誰か調べたら、それなりの成果になると思うよ。
いずれにしても、著者が指摘するように、これらの習慣は全て自己欺瞞である。勉強したつもりになっているだけで、その効果が本当にあるのか高いのか、そもそも調べようともしない。これは、勉強をどうこうする以前に深刻な非科学的態度というものであろう。