Scribble at 2023-01-10 09:51:15 Last modified: 2023-01-10 11:12:42

実家にあった『日本年号索引』を持ち帰ってきた話を昨年の暮れに書いた。そうして、使い辛いので手放すか廃棄処分だと書いて、代わりに自分が使いやすい年表と元号表をまとめたノートを作ると決めた。実際に年表のノートを作り始めてから、この『日本年号索引』を何度か開いてみて気づいたのだが、そもそもこれには「大宝」という元号がない(ちなみに明治以前は「年号」であり「元号」ではないという、非常につまらない蘊蓄を繰り返している人がいるようだが、このような表は21世紀の人間が利用するデータなのであって、歴史の記述ではない。そんな簡単な脈絡や事情も分からないからオタクはたいてい発達障害だと言われるのだ)。また、年号の切り替わった月や日の記載がどういう暦を基準にしているのかも凡例がない。おおよそ、明治以前の年号は旧暦で書かれた文書を読むために必要なので旧暦で数えて、明治以降はグレゴリオ暦で数えるのが妥当だろう。だが、『日本年号索引』を見ると、たとえば冒頭に出てくる「大化」という元号の切り替わった日付が6月19日となっていて、これは発布されたと考えられている皇極天皇の時代の日付のようだが、実際の開始日付ではない。よって記載されている日付も曖昧なところがあって、そもそも現代では参考にできる資料としての価値も低いと思う。後から色々なことが分かったり確定することがあるため、歴史学の成果や記録の正確さというものを拠り所とする文献では避けられないことだから、これらについて非難すべきだとは思わない。しかし今となっては信用に値しないのは事実である。

ただし、最新の文書が何でもいいわけではない。ウィキペディアの「元号一覧(日本)」というページには元号やユリウス暦やグレゴリオ暦の対応表があるけれど、その元号を使った当時の天皇の名前がずれている。たとえば、源氏の祖として名高い清和天皇は天安2年に即位されて貞観18年に退位されているが、ウィキペディアの表では天安年間の後期にだけ在位していたかのように見えてしまう。これでは重大な誤解が生じるだろう。元号の期間と天皇が在位していた期間がずれていることが多々あるため、こんな中学生がコーディングしたようなテーブルで対応表が正確に作れるわけがないのだ。ウィキペディアからのコピペで国史を書いたと言われる恥知らずの構成作家には、そのあたりも十分に学んでもらいたいね。

あと、この「元号一覧(日本)」のノートを見ると誤字の指摘がわざわざ記入されているのだけれど、ウィキペディアのページを編集するスキルとノートに記載するスキルは殆ど同じなわけで、フォームにコメントを書いてるだけじゃないんだから、そのスキルがあったら自分で誤字を修正すればいいのにと思う。あれは何なんだろう。ページを編集する担当みたいな人間がいて、その人に任せないと何かトラブルが起きるんだろうか。

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