Scribble at 2025-12-11 18:04:06 Last modified: 2025-12-11 20:04:25
先日も書いた話だが、ただいま(旧)ローカル・コンピュータで運用しているファイルを、外付け HDD や家庭内の NAS に入れてあるファイルも含めて、いったんすべて Google Drive にマージしている。色々なところから、たぶん異なるフォルダ名などに入れてある同じファイルがいくつもあろうから、異なるパスなりフォルダに重複して格納することにはなるのだろうが、それらを整理する手間をかけるかどうかも含めて、いったん全てのファイルを一箇所に集めてから検討したい。
いま、いったん全てのファイルを集めるだけの余裕があって、安定して稼働するハードウェアの環境は Google Drive であろう。外付け HDD や NAS は10年近くの運用が続いていて、これらに集約するのはリスクが大きいと思う。というか、いったん Google Drive に集約したファイルを、再びこれら古いストレージ・デバイスにダウンロードし直す意味があるかどうかも怪しいと思う。なので、いったん Google Drive にファイルを移したら、その時点で NAS や外付け HDD を買い替えたほうがいいかもしれない(これらのローカル環境で運用するストレージをゼロにするというのは、さすがに「バックアップの 3-2-1 ルール」から言っても不適当だろうと思うからだ)。
それから、いくら Google Drive に余裕があるとは言っても、これから画像生成 AI などの成果が続々と増えていくわけで、いまの「Google AI Pro」という 2 TB のストレージでは余裕がなくなる。いま現在の実績だけで言えば、今年の7月に購入した新マシンでは、おおよそ1日に5,000枚くらいの画像を自動で生成していて、以前は PNG で生成していたが、さすがにファイル・サイズが大きいので、最近は JPEG にしている。これならファイル・サイズが 1/10 になるし、JPEG でも画像にメタ情報としてプロンプトなどの情報も埋め込んだままにできるので、扱いやすい。だがそれでも、1日に 200 KB x 5,000 で 1 GB ずつストレージを使うこととなり、機械的に言って D ドライブの 2 TB が5年で埋まってしまうこととなる。
「バックアップの 3-2-1 ルール」からすれば、これまでは光学メディアに記録するという選択肢もあったのだが、もう今年の夏に購入した新しいパソコンには DVD ドライブすら積んでいない。光学メディアなんて、もう記録媒体としては効率が悪すぎて常用に値しないからだ。いま述べたように、毎日 1 GB ずつ増えていくファイルをバックアップするとして、毎月の仕事みたいに Blu-Ray の 25 GB ディスクを焼いていくなんて作業を続けたところで、毎年 12 枚ずつメディアが増えていくのをどうやって整理しろというのか(なお、以前も書いたように、僕は 50 GB 以上の Blu-Ray のメディアは記録エラーが多すぎて全く信用していない)。
ぶっちゃけで言って、僕が仮にあと30年ほど生きるとして、こんなデータを本当に自分の人生の道具として使うなんて、あとせいぜい15年から20年ていどだろうと思う。あと20年くらい使えたら、あとは消えようがどうなろうが知ったことではないのだから、そのあいだ安定して使えるサービスなりデバイスがあれば、それに委ねていいだろう。Blu-Ray が何十年もデータを保存できるとして、そんなもん僕が死んだ後までデータが残っても意味がないわけだよ。そう考えると、コストや運用や効率を考えたら、もう光学メディアは役割を終えたと思う。というか、何十年も永続してデータを保存するというアイデアそのものが、そもそも一般ユーザの僕らにとっては無用の課題であり、何を措いても解決すべきことでもなかったわけである。そら、いまどきの若者の多くは、自分が産まれた頃の映像をスマートフォンの動画として親が残しているというケースもあるだろう。そういうデータが何十年も残っていて、いまも観られるのは大変に面白く、或る意味では幸福なことなのかもしれない。でも、そんなデータが仮に何 TB もあると親から言われたって、それはそれで困惑する人もいるだろうし、それを逆に残さなくてはいけないという縛りができることに困る人もいるだろう。実際には、そんな思い出に相当するようなものは、動画が幾つかあればいいわけであって、その程度なら簡単にストレージを乗り継いで長く保存できるだろう。そして、少し昔なら、そういうことは「家族のアルバム」が担っていたし、もっと昔なら思い出話などが担っていたわけである。でも、親から動画ファイルではなく思い出話しか聞けなかった人が「不幸」なのかというと、僕はそんなことは一概に言えるものではないと思うんだよね。
考古学を学んでいた者として、もちろん記録が残っているということは有益なんだけど、記録がないからといって、そこに誰もいなかったかのような扱いをする学者がいるなら、元考古学少年として言うけど、そいつらは完全にバカで無能だと思うんだよ。それから哲学者としても言っておくと、記録、あるいは書籍や文字ですらいいけど、そういうものがない文明とか文化を担う人々が、人の生き方として惨めだったり「低レベル」であるかのような思考は、端的に言って馬鹿げていると思う。極端なことを言えば、われわれ哲学者というのは本や記録がなくても哲学的な思考ができないといけないという才能を求められる類の人間なのであって、洋書の読書感想文を書くしか能が無い大半の大学教員というのは、そういう能力がないことを外国語の読解などで誤魔化しているだけという奴も多い。それは、とりあえず国公立大学の大学院で博士課程にまで進んだ人間だからこそ言えることだとは思う。
あと、10年以上に渡って Firefox のアドオンとして使っていた Scrapbook で保存した大量のウェブ・ページなどは、今回は Google Drive へ移さないこととした。そもそも、Firefox の古いアドオンでしか運用できないリソースであるため、2019年に起きた「Springer 祭り」でダウンロードした大量の論文などは利用したいが、これらは Blu-Ray に記録してあって、Google Drive へ移そうとすれば、いったん Blu-Ray から読み込んで Google Drive へアップロードする必要があり、手間と時間がかかりすぎる。それよりも、寧ろ研究のスタイルとか学術というプロセスを現代の技術や水準に合わせて、必要に応じて適切なリソースを見つけてきて利用することが望ましく、無闇矢鱈と大量の論文を読み込んだり AI に学習させるといった作業は、的確でもなければ時間の無駄であろうと思われる。これは PHILSCI.INFO でも書いていることだが、哲学者のやるべきことは自らの目的や動機にしたがって哲学することに他ならず、データ処理ではない。確かに哲学することの一部なり一助として、現代の学術研究にあってデータ処理が含まれていてもいいわけだが、手段と目的を取り違えてはいけない。
他にも Scrapbook アドオンで保存してある大量のリソースはあるのだが、たとえば Windows 用の「互換シェル」と呼ばれるユーザ・インターフェイス・プログラムの情報などにしても、いまさらわざわざウェブ・ページを作って解説したり紹介する意義があるかどうかは分からない(ちなみに、今でも "Blackbox" と呼ばれていたシェルの後継版がリリースされている)。当サイトで公開している LiteStep の解説記事だとか、あるいは互換シェルのコミュニティ情報を扱っていた "XSWeekly" というニューズ・レターのアーカイブだとか、こういうものは好事家や「インターネット考古学者」しか興味を持たないであろう。もちろん、それだけでアクセスしていただいてもありがたいには違いないが、僕としては既にこういう話題で貢献する意欲はない。ソフトウェアやウェブ・ページのユーザ・インターフェイス設計とか UX などについては、もちろんプロの制作者の一人として関心はあるものの、個人のパソコンで展開する UI については、まさしく各人が勝手にすればいいと思っている。といったわけで、他にもさまざまなテーマで集めた過去のウェブ・ページなどが大量に保存されているのだが、いまさらそれらを引っ張り出して何か記事を書く必要や意義があるのかというと、いささか疑わしいところがある。事実、それだけのデータをアーカイブしておいて、それらを利用したのはほんの一例にすぎない。そして、それ以上は増えないと思う。