Scribble at 2022-02-10 11:59:49 Last modified: 2022-02-10 12:01:08

圏論の話で小さな話題を追加しておくと、J. L. Bell が1981年という時期に BJPS へ圏論の概要と意義について論説を出している。それでも、彼が一文を寄せている "Categories for the Working Philosopher" というアンソロジーが出たのは2017年であるから、科学哲学や数学の哲学としても独立したテーマとして著作物を出すまでには時間がかかっている。ベルの論説からアンソロジーが出るまでのあいだにも幾つかの成果はあると思うが、ひとまず上記については35年以上の時間がかかっている。

したがって、単に流行り廃りの話題としてだけではなく、新しく提案されたテーマとして真面目に取り組むべきかどうかを検討するだけでも、科学哲学とは言っても世界中で何千人を超えるオーダーでプロパーがいるというのに、これだけの年数がかかってしまうわけだ。よって、ケアの哲学にしても、成瀬君が取り組み続けているであろうアクティブ・ラーニングにしても、あるいは哲学の通俗本を書くための技巧についても(それ自体を一つのテーマとして取り組み続けることに、僕は文句なんてない。稚拙な段階で迂闊に出版するから非難しているのだ)、しかるべき一つのアプローチとして尊重したり誰かが取り組むべきだと認められるまでに時間はかかるかもしれない。よって、僕も表面的な軽薄さだけを取り上げて文句を言っているわけでもないし、無意味だと言いたいわけでもなく、あるいは即刻やめよと言っているわけでもない。

僕が言いたいのは凄く簡単なことで、仮に圏論を哲学として学び取り組むべき一つの道具やアプローチやアイデアだというのであれば、実際にそれをやってみた人間が何らかの業績なり成果を挙げてこそ、初めて説得力が生まれる。当たり前の話ではないか。試しに、圏論というアプローチで(科学)哲学の、もちろん圏論として議論されている自己目的化したテーマではなく、応用のテーマの何をどう解決したり、別の扱い方によって異なる議論を展開できるのか、実際に示してみよと言っているにすぎない。それをやらないで、空虚な「意義」という言葉ばかり編集者と一緒になって振り回しているだけだからこそ、ただの「マーケティング」をやってるだけだと、その手の見識もある科学哲学者のわれわれに批評されるわけである。

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