Scribble at 2025-01-09 08:09:50 Last modified: unmodified
スマートフォンのアプリケーションを使っていて頻繁に困るのが、「過去を消されてしまう」ということだ。何も記録を始めてから全てのアーカイブを見せろなどとは言わないにせよ、たかが昨日の番組だとか、昨日の天気すら見られない。こういう、ウェブのコンテンツが抱える「殆ど1990年代以降のデータしかない」という特性は、分かっているようでいても忘れやすい。しかも、たいていの無教養な教員に教えられた多くの凡人は忘れるどころか最初から教えられてもいないので、簡単にウェブで「あらゆる情報」が見つかると盲信している。よって、過去の事実を伝えると称する素人の与太話や陰謀論にたやすく騙されたり、そこまでいかなくても学術研究の厳しさに無頓着な人々の郷土史や歴史の調査や研究と称する素人談義に感心したりすることになる。
もし、僕らがこのさきも、通信規格やコンテンツのフォーマットは変われど世界規模に展開するネットワーク通信を基礎にした情報のやりとりなり共有を維持するのであれば、過去に関する情報と、過去の情報と、そして過去に関する過去の情報(これらはそれぞれ違うものだ)とをデジタル化したりオンラインで公開したり保持する必要があるのだろう。ただし、そういうことには色々な限界や制約があり、端的には経済(コスト)という限界と政治という限界は誰が何を言おうと記録の公開はされないだろうし、やろうとしてもお金がかかりすぎるという問題もあろう。そして、考古学を学んでいた者としては常識に属する範囲のことだが、そもそも過去の情報を全て記録したり保存するなんてできないし、手持ちの物品や資料を全てデジタル化しようと過去の情報は常に不完全にしか記録・保存されないという事実を忘れてはいけない。それは、いま現在の情報を正確かつ全て記録したり保存することなどできないし、する必要もなければする気もないからだ。したがって、現在の記録が不完全であれば、それはすなわち即座に1秒後にでも過去となるのだから、過去の情報は常に不完全であることを意味するし、未来についての予測は過去の情報がなくては常に不完全であるからして、未来の情報も常に不完全なのである。