Scribble at 2025-01-09 08:26:46 Last modified: 2025-01-09 10:11:44
digital identity やオンラインの認証技術を学んでいる人間なら知らない人はいないと思うが、ディック・ハートの「伝説的」と言われるプレゼンテーションの冒頭にもあるように、カナダの人はアメリカでなにか喋るときに「みなさん、カナダっていう国があるのを知ってますか?」といったジョークを飛ばすことがある。国土の大半が氷河や森林であり、人口の大半は五大湖などアメリカの北部にある街の近くにあって、ケベック、モントリオール、オタワ、トロント、ヴァンクーバーという日本でも知られている都市は、ほぼアメリカとの国境近くに集まっている。なので、アメリカの大学で学んだ人がカナダの大学の大学院へ進むというコースもまったく平凡なこととなっていて、もちろんカナダの大学院を出た人がアメリカの大学で教えたり逆のことも頻繁にある。なので、アメリカの多くの人がカナダ人を自分たちとは殆ど大差のない暮らしぶりをしていて、ややイギリス英語のような発音の人は多いが意志の疎通に何の問題もないと感じている人は多いはずだ。なので、カナダがアメリカの「州」だと思うような人はいないにしても、外国人だという印象は弱いのかもしれない。
しかし、だからといって政治的あるいは経済的に「併合」するなどという話は常軌を逸している。そんなことをやれば、今度はカナダ人が「独立戦争」を起こすかもしれないわけで、ただでさえトランプはアメリカ国内で内戦が心配されるような政策をやりかねないというのに、外国についても時代錯誤的な帝国主義的ナンセンスを考えているのだろうか。これは、おそらく「グローバリゼーション」の歪曲なり通俗化が引き起こした錯覚なのではないかという気もする。つまり、皮肉なことだがグローバリゼーションは因果関係や時系列を考慮すると保護主義や帝国主義や全体主義に結びついてしまうのだ。なぜなら、グローバリゼーションを「制御」したり「支配」する中心がないのがグローバリズムであるはずが、それを制御したり支配したいと、誰かが、どこかの国が思い立てば、それはどう考えても「ぼくのせかいせいふく」みたいな話にならざるをえないからだ。人によっては「21世紀型のモンロー主義」などを言うようだが、21世紀もヘチマもあるものか。ただの歴史を知らぬ人間の時代錯誤だろう。