2021年06月09日に初出の投稿

Last modified: 2021-06-09

supervenience を支持しながら reductionism には与さないというスタンスは、幾つかの脈絡で正当化できるだろう。一つの提案は、前者と後者を metaphysical vs. epistemic("epistemological" ではなく)という対比に結びつけて、実体として派生性質は基礎性質〈に他ならない〉と考えながらも、そう考えたり定式化したり説明するという言語的で認知的な理解や言表や伝達においては多くの派生性質に訴えなくてはいけないというものだ。これは、もちろん「言葉の綾」ではない。言語的な表出そのものが実体からの乖離でありうるのだから、実体に〈突き刺さる〉言語表現などというオカルトを信じていない限り、ヒトがもつ認知能力の範囲内に捕捉されるということ自体が基礎性質への還元に対する強い抵抗となる。

簡単に言えば、岩田健太郎氏を始めとする一部の医学関係者が「コロナウイルスは『実在しない』」と言っているときの意味合いは、このような議論で弁明したり正当化できるわけだが、しかし reductionism に抵抗することはヒトの認知活動に関する記述的な脈絡で述べるべきものであり、彼らのように特定の政策とか活動に結びつけた脈絡で述べるものではない。

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