Scribble at 2020-04-26 12:33:12 Last modified: 2020-04-26 12:43:06

「コミニュケーション」や「シュミレーション」という間違い言葉は、いつ頃、誰が使って流行らせたのでしょうか?

NHK のニューズで、記者やディレクターや解説委員は訓練を受けていないだろうから仕方ないとしても、アナウンサーの多くも "simulation" を「シュミレーション」と発音しているように聞こえる。これを、たいていは「シュミ」と「シミュ」の取り違えとして、付け焼刃の音韻論で説明しようとする人がいるのだけれど、"simulation" を発音記号で確認すればわかるように、実際の発音は「シミュレーション」ではなく「シミャラーシャン」(sim-yə-ˈlā-shən)と書いた方が近いくらいだ。しばしば、ボード・ゲームが流行した1980年代にボード・ゲームを趣味としている人々が「『シュミ』レーション」と言い始めたことがきっかけだったと言う人もいるが、恐らく音韻論で説明するという愚行も、こうした都市伝説のようなものに引きずられているのだろう。

しかし、本当の理由はそんなことではなく、言葉の正確な発音や意味について、そもそも昔から多くの日本人は関心をもっていないという、もっと深刻な事情にあるのだと思う。つまり、そのような間違いが起きて、しかもマスコミで訓練を受けている筈のプロフェッショナルであっても頻繁に間違ってしまう理由の一つは、言語やコミュニケーションを信用しない気質からスキルを磨こうとしないとか、逆に「単一民族」という幻想があるからか言葉によるコミュニケーションを「同じ日本人だから」と妄信して殆どスキルを磨こうとしない事情に求められると思う。いずれにしても今のところ生活するに困っていないという過信があって言葉のスキルを向上させるインセンティブがないと見做されているわけであろう。もちろん、これを「怠惰」と呼んで蔑むことによって、何らかの牽制効果を期待できるかもしれないが、いまのところは凡人であればそうなる他にないような性質を責めても得るものは少ないだろう。大多数の人々は、いまの自分の日本語の能力で何も生きるのに困っていない(と思い込んでいる)のだから。

そういう一例が、まさに上記でリンクしたページで展開されているような問答である。タイトルを見れば明らかなように(そう。あなたが見ても同じく「明らか」だと理解できるかどうかにも、かかっている)、質問している人物は「シュミレーション」といった言い方が何をきっかけに流行したのかということに関心を持っている。しかし、それに対する応答を読んでいくと、応じている人の多くが質問とは関係のない回答を並べ、中には音韻学の蘊蓄を書き連ねたり(しかも国語の教員を名乗っている)、そういう間違いをする人の気持ちを憶測で適当に語ってみたり、果ては単なる自分の感想を書いたり、こういう人々が日本人と称してお互いにデタラメなコミュニケーションを維持しているのが、この国の真の姿だと言ってよいだろう(まぁ海外も事情は大同小異だろうと思うが)。

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