Scribble at 2020-08-04 19:02:53 Last modified: 2020-08-04 19:05:14

Aeon、The New York Times、そして The Atlantic という三つの巡回サイトを見ても、サイトのフロント(トップ)・ページではアンカーに text-decoration を全く使っていない。というかスタイルシートのコーディング実務としては抑制しているわけであって、これは意図的な UI の設計だろう。その代わりなのかどうかは分からないが、こうした設計になっているサイトの大半は、いわば《どこをポイントしてもクリックできる》という体裁になっており、記事のアイキャッチな画像だろうとタイトルだろうと excerpt だろうと、どこでもクリックできる。確かに実利としては、その記事に関して表示している要素のどれをクリックしても読めるのだから、アンカーであることを示す徴表というかシグナルは必要ないということなのかもしれない。まだヤコブ・ニールセンの神通力があった頃のユーザビリティというコンセプトや理論に従うなら、アンカーになっている要素であることをユーザに知らせることが大切だと教わった、僕らの世代の(まともな)デザイナーならば違和感をもつのかもしれないが、確かに《どこをクリックしてもいい》つまりは全ての要素がアンカーであるなら、却ってクリックできる場所を示すと全てに何らかのプレゼンテーション設定を施す必要があり、逆にユーザを混乱させる恐れもあろう。つまり、画像のリンク先とタイトルや excerpt のリンク先が違っているように見えてしまうというわけだ。たとえば、記事のタイトルに並んで表記されるカテゴリーがアンカーになっていると、そのカテゴリーのトップ・ページへリンクしているようにも取れる(ブログの UI のお作法だ)。

そういうわけで、いまや必ずしもアンカーになっていることを殊更に強調する必要はないのかもしれないが、実際に記事を表示すると、今度はどのサイトもアンカーに下線を使っていて、中にはアンカーへマウス・ポインタを当てても挙動が変わらない(The Atlantic)場合もあったり、underline が消えたり(The New York Times)、あるいは下線が消えるには消えるが、それは underline ではなく border-bottom で下線を引いていたり(Aeon)する。本文については、さほどスタンダードがあるわけでもなさそうだ。そして、僕はこの首尾一貫していないところが気に食わない。なぜなら、僕にはこの首尾一貫性のなさというものは、本文のスタイルの定義における各サイトのバラつきに原因があるのではなく、寧ろこれらのサイトで共通しているフロント(トップ)・ページの画一的なデザインにこそ原因があると思うからだ。つまり、サイトの「表紙」であるフロント・ページは、アンカーに下線を引くなどという《醜悪な》要素を採用したくないという、いまだに紙のデザインの陋習が残っている結果だと思うのだ。

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