Scribble at 2020-04-22 11:12:00 Last modified: unmodified
この手の社会心理学や行動経済学で議論されたり指摘される《なんとかバイアス》や《かんとか思考》の類は、やや食傷気味という方も多いと思う。毎年のように夥しい数のブログ記事やメディアの記事や通俗本が世の中にあふれかえり、やれ「正しい推論」だの「適切な判断」だのを勧める。しかし、大昔から政治でも科学でも会社経営でも等しく当てはまる事実として、そのような小手先のレトリックや揚げ足取りのクソ理屈をたくさん知ってるだけの頓智小僧に会社のまともな経営はできないし、まともな政治判断もできないし、まともな学術研究もできない。その理由は幾つかあるが、手短に言えば、第一に経営や政治は人を相手にするからであり、第二に正しい推論とは論理的に真であるような推論のことではないからだ。どれほど適切で正しい推論をした結論を持っていようと、それが「正しい」というだけで相手も同意するとは限らないのが人間関係である。相手がそういう建前や価値観の正しさから逸脱しているからこそ(違法とまでは言えないにしろ)事業を継続できているとすれば、相手が簡単に是々非々の結論に同調しないことは明らかだ。そして、論理的に真でありさえすればいいなら、前件が偽であっても良いのだから、そういう形式的な論証から出発する推論は常に(論理的に真というだけの理由で)正しいのである。したがって、「ロジック」などという言葉を振り回す営業マンも多い昨今だが、そのロジックとやらの仮定が正しいのかどうかを検証したり理解するための素養がなくては、しょせん23時頃に『和民』の店内で喚いているような雑談と同じレベルであろう。
しかし、上記によると多くの人々は推論の仮定として正しい知識を持っていても、建前の理屈や是々非々の議論から出てくる答えに簡単に従おうとはしないらしい。それはそれで分かる。でも、この記事の結論たるや、"They just have to put that knowledge into practice." などという狐に化かされたような話でしかなく、かなり期待外れだ。
考えてもみれば、或ることをするべきなのは分かっているという問題や懸案というのは、誰にでも幾つかあることだろう。僕の場合だと、過去には一日に1箱ていどを消費していた喫煙者だったので、タバコを止めた方が健康に良いことは分かっているが、やめられないという事情を抱えていた。そして、以前も書いたと思うが、意外なことにケリー・マクゴニガル氏のベスト・セラーである『スタンフォードの自分を変える教室』という自己啓発本の典型みたいな書物を読んで、何かをやるというときに、いちいち理由とか正当化をつけようとするからいけないのであり、必要ならそれこそ「やるなら、今でしょう!」という有名なフレーズのように、ただちに実行するしかないと悟り、翌日から《単にタバコを吸わないというだけの生活》を送ることにした。既に、それから5年以上が経過していて、僕は実はいつでもタバコを吸おうと思えば吸えるのだが、もう今ではタバコを利用しない生活が当たり前になっている。
何かを決めたり始めるにあたって、それは正当で高尚な理由があってのことだ、それを自分はきちんと考えて採用したのだと思いたがる人が多いのだろうとは思う。誰でも思いつきそうなことを、だいの大人である自分がいまさら気づいたり学んでフォローするなんてアホみたいではないかというわけだろう・・・でも、屁理屈をこねていつまでも実行して成果を出さなければ、結局はアホ以下であるということに気づかない。