Scribble at 2026-03-03 10:49:12 Last modified: 2026-03-03 10:55:59
こういう、約束ごとで意味をあたえられ、それが直感的な意味とかならずしも一致しない用語は、それをつかう人が覚えきれてつかいこなせるうちは便利なのだが、覚えきれないと、まちがいをおこしやすく、まちがいをふせごうとすると時間を消費するので、不便になる。
僕も、増田耕一氏の意見に賛成だ。こんなことにいちいち呼称をつけること自体がナンセンスであり、ド田舎で続々と増えている「ご当地キャラ」などと同じく、予算を使い切ることしか考えていないような役人が「仕事してます」アピールの道具として、あるいは安っぽいパターナリズムから捻り出した愚策にすぎない。
そもそも、「暑い」かどうかは人によって異なる。僕のように、30度ていどの気温なら暑いなんて思わない人間にとっては、「真夏日」などと言われても実感がないし、現に夏以外の季節でも気温が上がれば使う言葉なのだから、「夏」という文字を使う必然性も感じない。
また、職種や生活スタイルによって暑さや寒さの基準、そしてそれらの良し悪しという評価も異なる。或る温度を上回ったとか下回ったからといって、報道の用語として画一的に「嫌なもの」であったり「苦しいもの」であるかのような loaded language として気象予報士に語らせることも、適切なマスコミの態度とは思えない。これは、雨のような気象現象についても言えることであろう。農家、それから水源を管理する水道局や水力発電所にとっては、一定の頻度で雨に降ってもらわないと困るわけだが、たいていの一般人にとって雨天が煩わしいことであるからといって、常に降雨を災害であるかのように報じるような態度もどうかと思う。