Scribble at 2025-09-07 09:26:07 Last modified: 2025-09-07 21:57:16
このところ、ラノベが原作のアニメ作品を色々と観ていた。たぶん20作くらいは観ていると思うし、いまも継続している作品があって、連れ合いと昼ご飯を食べるときに観ている。もちろんだが、ラノベあるいは「なろう系」の原作をうかがい知る機会でもあるし、それなりによく出来た設定なりプロットの作品もあるのだが、いやはや時間を無駄にしたとしか思えない作品もある。上に紹介している『最強の王様、二度目の人生は何をする?』という作品も、かなりウンザリさせられながら観た。というか、途中から早送りで観たから正確な視聴とは言えないだろうが、とにかくつまんない作品であった。
まず、誤解があるといけないので書いておくと、本作の原作は韓国系アメリカ人の小説なのだが、アマゾンのレビューに散見されるネトウヨや嫌韓系のコメントは論外である。原作者の出自や人種なんて何の関係もないことは、それこそ「なろう系」の小説を公開している数多くの無能な純粋日本人様たちによって明白に証明されている。どこの国でもそうだが、常に圧倒的多数は凡庸であるか無能なのだ。韓国人だろうとアメリカ人だろうと日本人だろうとホンジュラス人だろうと、そんなことは関係がない。
それから、これは原作があるアニメや映画によくある話だが、「原作は面白い、アニメ化が失敗しただけだ」という弁解は、少なくとも僕には通用しない。これは、たとえばカントの『純粋理性批判』は古典的な業績であり、それの解説本が失敗しただけだという理由で何かの弁解になるのかという話と同じである。元にした著作物に権威があり偉大な業績であるからといって、それの解説やアニメ化作品の評価に下駄を履かせるのは、そもそもそういう解説本やアニメ作品の市場を弱体化させる愚行なのだ。だって、無能が愚劣な作品をつくったり本を書いても、常に言い訳ができてしまうのだから、そんな環境で優れた人材が育つわけ無いだろう。無能や凡人は、僕のように厳格に断定して(知的に)殴り倒すべきなのであって、それに耐えられないような者がプロとして他人様からお金をもらって仕事をするなど、アニメや出版という仕事を馬鹿にしているとしか思えない。無能や凡人に下駄を履かせることを「セーフガード」だの「民主主義」だのと錯覚している人がこの国には(いや欧米にもだが)多いようだが、そういう権利に関わる擬制としての福祉や行政制度の話と、仕事の評価に関わる話とを混同してはいけない。自分たちの無能や凡庸を、そういう都合のよい概念なりキャッチ・フレーズが支えたり弁護してくれるなどという錯覚に陥ることは、僕が哲学者として何度も指摘している「自己欺瞞」なのであり、自分で自分を騙し甘やかしているだけなのだ。
ということで、アニメ作品がつまらないからといって、原作なら面白いかもしれないなどと期待して本を買ったり、原作を読まなければフェアな評価ではないなどと考える責任が視聴者にあるはずもないのだから、観たものだけをもって評価しても全く問題ないし、それが普通のことなのだ。原作を読んだり、あるいは極端なことを言えば原作者に手紙を書いたりしてまで何らかの弁明や「真の価値」を見出そうとするのは、表面的には学者がやるような熱意のある行為に見えるかもしれないが、それはただの偏執である。
ともかく、具体的なストーリーを説明するまでもないと思うので割愛するが、このアニメ作品はタイトルの「何をする?」というタイトルからして嘘であり、実際には主人公の幼年時代が描かれているにすぎない。もちろん、その幼年時代に周囲の環境や人生を大きく変えるようなエピソードの作品もありえるが、本作では殆ど何も変わらない。確かに、前世では冷酷な王であったことが何度も回想シーンで語られるのだが、その人物描写なり生前の世界設定が笑ってしまうほど稚拙なので、その時点で観続ける意欲を失う人も多いだろう。なにせ、宇宙船のようなものが飛んでいる技術力の世界だというのに、戦争では王様が魔法も何もかかっていない普通の金属の剣で戦っているのだから。そして、前世での冷酷さや非情さという性格描写についても、文学者や文学ファンからはいまだに蔑まれるようなレベルのラノベという小説群においてすら稚拙という他にない。
また、アマゾンのレビューで(ふつう僕はレビューを読まないのだが、どうして高評価する人がいるのか、敢えて見てみた)指摘されているように、そもそも低予算であり、それから制作スタッフもアニメおたくのあいだでは有名らしい無能な人々が関わっているらしく、作られるべくして作られた駄作だという。たとえば、僕も強い違和感をもったシーンなのだが、エルフの国で屋台が出ている大通りを主人公と王女が歩いている。でも、他に歩行者が一人もいないのだ。なのに、話が進むといきなり周囲に大勢の人々がいるように描かれたり、ましてや幼くして高い戦闘力に恵まれた主人公が簡単に他の歩行者からぶつかられてしまい、難癖をつけられたりする。
それから、ストーリーに何の関係があるのかわからないエピソードを無駄に細かく描写しているのも、「ダルい」と多くの人に思わせてしまう理由なのだろう。たとえば、エルフの国に入ったとたんに主人公は侵入者としてエルフの警備隊に拘束されて殺されようとしてしまうのだが、その光景を、一緒に過ごしてきて事情を説明できるはずのエルフの王女が無表情で傍観している様子を見て、主人公が呆然とするシーンがある。何話か後で、そのシーンが再び出てくるのだが、王女がどうして殺されようとしていた主人公を傍観していたのか、結局は何も理由が語られないまま「ああ、そうだったのか」と主人公が勝手に納得してしまう。これだけ伏線を張っておいて、観ている側には何のことなのか理解しにくいまま回収されてしまっているのだ。これを、「文学的な才能や感受性がなければわからないこと」だと切り捨てるのも結構だが、この作品はそういう複雑というか無駄に引き伸ばして、最初は不明のままだった事情なり伏線を無理矢理に回収するという仕組みが幾つかあるのだが、それらの全てが殆ど説得力をもっていない。なんでたまたまドラゴンが隠れている場所に主人公は墜落して助かったのかとか、どうして何の修練もしていないはずだった時間停止の能力をオークション会場でいきなり使えたのかとか、なんで魔法学院があるような国でありながら、誰も主人公のペットがドラゴンであることに気づかないのかとか、第二期以降で分かると言われても、そんなことを前提にするようなプロットが通用するのは、既に原作だけで巨大な評価や売上を出している『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』クラスのアニメだけであろう。
とまぁ、こういう嘆かわしい作品も含めて多くの作品を観てきたわけだが、もうそろそろ昼ご飯を食べながら観ているくらいの調子でいいかなと思う。「見切った」とまで言うつもりはないが、2000年代から出てきた原作を元にして2025年までに登場したアニメ化作品を観て、約25年くらいのスパンで主だった「異世界モノ」を観て、少なくとも観たことがあっていくらかは知っていると言える前提で、ラノベやら異世界モノについて語ることはできるだろうと思う。もちろん、これからも色々な原作なりアニメ作品は登場するのだろうけれど、もういい。
なお、逆に良かったと思う作品は難しい。まず、ハレーム系はどうも多すぎてウンザリさせられる。フェミニストでなくとも、妄想やご都合主義でハーレムを描くような作品には辟易するところが多い。また、『無職転生』のようなダメ人間がやり直して報われるという虫のいい設定の話にも同感しかねるところがある。また、僕は連れ合いから「主人公無双」の設定を好むと言われるのだが、問題はそういう能力をどう使うかであって、やはりストーリー展開や世界観に納得しがたいものがあれば、駄作は駄作であろう。たとえば『ありふれた職業で世界最強』などは主人公の性格が変貌しすぎてしまい、殆どヤクザ者のアニメだ。あと、作画についても好き嫌いはあって、たとえば第七王子がどうのとかいうタイトルの作品は、何の必要があるのか主人公の男の子が女性っぽく描かれており(いわゆる「男の娘」)、無意味な作画設定だとしか思えない。他にも、とにかくキャラクター・デザインが画一的で、これでは生成 AI に学習されることに文句を言うほどの才能はないと言わざるをえない。