Scribble at 2025-03-12 19:03:35 Last modified: unmodified
手持ちのデータが枯渇したからといって生成 AI の品質に向上がなくなるかというと、別にそういう単純な話ではない。要するに、そんなことだけで心配するのは、生成 AI が帰納法だけで何かテキストを出力しているかのような錯覚に陥っているからだろう。こういうことは、既存の言語学でも言われるように、僕らは限られた語彙しかないけれど、そこからいくらでも文章を作れる。このところビジネス書でも「演繹革命」などと言って幾つか事例が出ているけれど、手持ちのデータと理屈から「それで?」と先に進めてゆくことで、議論を展開したり改善したり積み上げて行けるからだ。実際、営業でも学問でも、議論や思考をどんどん先へ展開していく力がないと、何事かを推量したり予想する力がつかない。そういう力がない営業マンというのは、「腕力」で片付けられるうちはいいが、たいていは頭打ちになって、しかも腕力しか訴えるものがないので管理職になると会社のお荷物になるわけだが、過去の業績だけで安っぽいプライドをもってたりしたまま専務とかになって実権を握ってしまうと、もうその会社は駄目である。
ともあれ、AI は手持ちのデータを解析して事後確率が上がるようなベイズ的な推論をするだけではなく、異なる新しい仮説を立てることにも使えるわけで、そこには参照するべき「教師(正解データ)」はないが、積み上げた推論のパターンという強力な原理がある。これを利用しない手はない。